[194] 【 カジノ法案、参院審議入り 依存症対策法案は可決・成立 】→ https://www.asahi.com/articles/ASL7633GQL76UTFK001.html?iref=comtop_list_pol_n01
名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会
(18/07/07-06:20)
僕も若い頃.競馬に競輪.競艇.パチンコと.一通りやってきた者ですが.とにかく十八才から三十才ぐらいまでは給料日まで千円の金が残っていたことが一度もないという人間でありまして.給料日になると質草を出し.給料日前になると質入れするという繰り返しの青春時代だったのであります。(当時サラ金がなくて良かった!)さすがにその頃の生活は.アルバムを見ても極端に写真が少なく.すさんでいたのでしょう。冷静な時には「わざわざ好きこのんで.感情の起伏を促進させるような所に出入りすることはないではないか」と自分に言い聞かせるのですが.日当分を数時間で稼いでしまったときの魅力に打ち勝つことは.容易なことではありませんでした。一度でもおいしい思いをした者は.勝った金の何百倍の損をしようとも.なかなか足を洗えないのがギャンブルであります……。パチンコで素寒貧になって「作業員急募」という看板に目が留まった僕は「あの〜.明日一日だけアルバイトとして雇っていただけませんか」と.土木会社の社長に頼み込んだことがありました。2トントラックで山中に土砂を捨てに行く仕事で.現金二千円くらいだったと思いますが.バイト料を用意してくれていました。ところが魔がさしたというのか.行きつけのパチンコ屋の前を通った僕に.悲劇のドラマを地で行くごとく.またもや素寒貧に身ぐるみ剥がされておりました。全く.ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくる.飲んだくれの退職官吏マルメラードフそのままであります……。それから二十年経った四十二才の頃.とある行きつけの喫茶店で手にしたマンガ雑誌に.新人大賞(百万円)の作品が掲載されているのを目にし.これがギャンブルとお別れするきっかけとなりました。マンガ雑誌を見て.百万円というまとまった金が欲しいと一念発起した僕は.すぐに応募作品に取り掛かったのであります。(当然.パチンコ屋へは足が遠のく)作品は『五十億円の約束手形』というタイトルでした。しかし結果は.佳作どまりの十万円でありました。四十日かけて.わずか十万円……。ただ.このことは.あとに何も残らないギャンブルと同一視してはならないことでありまして.僕がギャンブルから足を洗えた理由は.格言や箴言によって悟りを開いたわけでは決してなく.マルクスの「社会は経済が土台になっている」の通り.まさに僕の経済問題を解決したからであります。労働者が.現在の数倍の収入が得られる正業に就けたとしたなら.自然にギャンブルからは足が遠のくと思います。このことは.競馬団体のトップがギャンブルに狂わないことや.パチンコ店のオーナーがパチンコをしないことが.如実に示しております。遅すぎた感はありますが.僕は五十四才にして.残り三分の二をどう利用するか.やっと気付く年齢に達しておりました。 -『 青木雄二の ナニワ資本論 』青木雄二著 / 朝日新聞社 ¥1200(税別)より抜粋 -
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