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名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会
(22/07/22-15:36)
哲学というのは、今から三千年ぐらい前に発生したもので、ギリシア語で「フィロソフィア」という。「知恵への愛」と訳すんですね。これがもっとも古い「全体の科学」ですわ。これに対して「個別科学」というのがあり,これを自然科学と社会科学といいます。それで全体のことを哲学では「世界」といいます。世界とは地球上のありとあらゆる一切のもので、この「世界」というのは、物質と精神以外、何物もないということです。物質のことを「在るもの」といいます。精神のことを「思うこと」というように、日本語で訳せるわけです。ですから、哲学の根本問題は「在る」と「思う」の関係の問題になる訳です。
哲学というのは考えて、考えて、考えぬいて、もうこれ以上は考えようのない最後の問題は何かということを突き止める学問です。ここで「在る」という事について定義させてもらいますと、今この机の上にあるこの缶入りのお茶は、在るもの。存在するものです。この黒板もあるものです。つまり現実に存在するものです。ところが目に見えるものだけが「在るもの」じゃないんですよ。目に見えないものにも「在るもの」はあるんです。
例えば引力・空気・電気、それからX線。X線がなかったらレントゲン写真が撮れませんから、これも存在する「在るもの」です。 同じように社会は「在るもの」であります。この「在るもの」は「思うこと」によって、意識することによっていささかも変化しないし、形が変わったりもしない。それが「在る」ということです。
反対に「思うこと」というのは、例えば全ての神さま、釈迦、イエス・キリスト、日蓮、親鸞等、全ての神さんに「神さん、お願いします。この缶のお茶を1ミリでもいいから移動して下さい」と祈っても動いたりしない。これが「在るもの」であって、「思うこと」と分けて考えなければダメだということです。例えば「今年の秋、稲を豊作にして下さい」と祈って豊作になるのであれば、人間に労働は要らんということになります……。結核と言う病がありますね。この病気は人間の体内に結核菌が存在しとる為に起きる。これは人間の体内に「結核菌は在る」ということです。だから病気を治すには、この結核菌を人間の体内から取り除くか、薬で撲滅させないことには治らんのです。
火を焚いて、鉢巻きして、祈祷師に祈ってもらったり、お百度参りをしたり、冷水をかけて祈ったりして治そうとしても絶対に直らないのは「在るもの」を「思うこと」で動かしたり、変化させたり出来ないのと同様です。ですから「思う」だけでは、絶対に治らない訳です。エイズでもガン細胞もそうです。ですから「在る」と「思う」とごっちゃにして物事を考えてはダメだと言う事なのです。 -『土壇場の人間学』青木雄二・宮崎学著/幻冬舎アウトロー文庫 ¥571(税別)より抜粋 -
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