ナニワ金融道場・意見交換BBS

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[218] 【 浪速のマルクスと呼ばれた男の鮮烈なる列伝!】 Kindle版 → https://www.amazon.co.jp/dp/B081Y3HF46/ref=cm_sw_em_r_mt_awdo_Tf37DbR8F20XP 名前:城藤聖光 (19/12/10-20:02)
題:『ナニワの旋風児』 / 著者:城藤聖光 / 発売・閲覧:Kindle ストア
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[217] 【 マラソン騒動で見えたIOCの強権ぶり「不平等条約だ」】→ https://www.asahi.com/articles/ASMB00GWXMBZUTQP01S.html?iref=comtop_8_02 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/11/01-15:43)
『時代が変わればゼニの流れも変わる』……。昔から「寄らば大樹の陰」というて、大きな会社の方が安定しているというイメージがあった。しかし、最近は名の通ったところも行き詰まったりしている。今まで安定しているように見えていたところが、軒並み危なくなっているのや。「これで人生勝ったも同然」と思ったようなところが、どんどんあかんようになっている……。銀行の破綻処理や不良債権処理のために、税金がとんでもない金額、湯水のようにばらまかれているのも腹が立つけど、ここは「大樹の陰」の話しや。なんで安定成長していたはずの大きな会社や銀行が、経営難に陥ったかということやな。それを招いたのは何か。根本的なガンは何かということなんや。いろんなシステムの悪いところが噴出している今やからこそ、そのあたりをよーく考えてみた方がええで。なんで色んな腐敗やシステムの欠陥が今、出てくるのかというと……。以前までなんとか取り繕っていたところが、ごまかしきれなくなってきた、ということがある。ゼニがまわらなくなるから、くっついていても、いつまでも利益がなければ「ゼニを払ったのになんや!」という時代になったということや。今すぐにゼニがもらえないのなら、約束違反や。名誉も政治力も関係ないという、ゼニ至上の資本主義の末期的症状やな。つまり「大樹」でも、実がならないのなら切り倒してしまうという強烈な理論が、これからの時代の主流になるということ。「寄らば大樹の陰」なんていうてると、一緒に切り倒されるか、倒れてきた「大樹」に叩き潰されるのや……。『労働者の上前をピンハネしているから企業は発展する』資本主義社会の中で「大樹」に見えるということは、その企業にゼニがたくさん出入りしているということだ。しかも、利益をどんどん設備とかに投資して、雪だるま式に利潤が増え、経営がよくなるような企業でないと、頼りにはならない。けど、これも逆にいうと企業が、いかに労働者から搾取している=上前をはねているかということでもある。労働者のひとりひとりに、それぞれが働いたぶんだけ賃金を支払ったら、経営者側には一銭も残らんのやからね。労働者が、自分が働いたことで生まれた利益の一部しか受け取っていないからこそ、企業が儲かり、その分で事業を拡大できるのや。小さな企業やったら、その儲けをみんなでボーナスとして分配しよう、とかみんなで使い道を決めよう、ということもできるけど「大樹」といえるような大きな企業では労働者には相談もなくすべてが決められてしまう。だから結局、労働者にとって安心な「大樹」というものは、大きければ大きいほど、労働者自体の存在が軽視されるものになっていくのや。 -『もっとしたたかに生きなアカン』青木雄二著(KKベストセラーズ¥1371税別)より抜粋 -

[216] 【(取材考記)横浜市のカジノ誘致 「負」の検証不十分、深まる分断 武井宏之 】→  https://www.asahi.com/articles/DA3S14186969.html?iref=pc_ss_date 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/09/20-19:20)
《 志ん生とマルクスと唯物論と Vo.59 》「人間というものは、大変仲の良い人と気の会わない人があるものでして、気の会う人は、始めて逢った時にもう好きになりますな……、例えば電車の中なんぞで腰掛けている人と、立っている人とで気が合うと、どうもその人を腰掛けさせたくなるもんで「どうぞ、狭いけどどうぞ」「すいませんなぁ、どうもいいんですよ」「まぁ、おかけなさい。あなたお宅はどちら」なんてんで心やすくなっちゃったりなんかして……。かと思うと、いやにこの掛けさせたくねぇ奴がいたりして、そうすると片方でも嫌な野郎だとこう思う。「ちょっと、そこんとこ開けておくんな、ねぇ開けて!」「ダメだよ、一杯だよ」「一杯じゃねぇよ、もっと寄りゃあいいじゃねぇか」「何を、こりゃお前の電車か!」とまぁ、そういうような訳なものでありますから、気が合わないというものは仕方がないもので……。もっともご商売にもよりますけれどな」-古今亭志ん生『三軒長屋』より- → 「労働者は祖国を持たない。彼らがもたないものを、それから取り上げる事は出来ない。プロレタリアートは、まずもって政治支配を勝ち取って、民族的階級に自らを高め、自分自身を民族として組織しなければならないという点では、ブルジョアジーの意味とは全く違うとはいえ、プロレタリアート自身はやはり民族的である。(労働者階級は,まずその出発点から祖国とかナショナリズムにこだわらない)-『共産党宣言』より -

[215] 【 原爆症、終わらぬ認定訴訟 敗訴続いても却下続ける国 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM787QGJM78PTIL03N.html?iref=comtop_8_02 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/08/07-06:18)
人間の生活の基本は、まず食うこと・飲むこと・着ること・住むことや。つまり生きていく為に最低限必要なことやな。そして、稼ぐということは労働するってことや。君らが生活できるのも、君らのお父さんやお母さんがいろんな職業に就いて働いているからや。学校の先生かてそうや。ゼニをもらわんと生活できん。つまり、学校の先生も「お金」を土台にして成り立っている商売だということや。そんな学校に従事する先生は、都道府県や市町村の各教育委員会の元で仕事をし、その教育委員会は文部省の管轄にあるわな……。で、問題なんは、この指導には色んな規制、制約があるということや。先生方がその為に言いたいことも言えなかったり、言っておかなければならないことも言わなかったりすることがある。例えば「君が代」「日の丸」の国家、国旗問題や。これにきちんと答えられる先生がどれくらいいるかやな。先の大戦(第二次世界大戦)で、日本は武力で中国、朝鮮、フィリピンなど東南アジアの国々を侵略し、虐殺、略奪の限りをつくしたわな。そんとき、日本軍が「錦の御旗」にしたのが「日の丸」であり「君が代」だったわけや。国民はそうして侵略戦争にかりだされていったが、「君が代」「日の丸」はその時のシンボルだったということや。「戦争はやめたほうがええ」とか「天皇は神様とは違う、人間や」などと言おうものなら国賊としてすぐ逮捕や。拷問され、獄死した人達もいるんや……。「日の丸」「君が代」問題だけやない。学校の先生が避けて通っていることは他にもまだ一杯あると思う。これは本当におかしいことやと思うで。そこでわしが、なんといっても第一に言いたいことは、学校の先生は「この社会がまずどういう社会かっていうこと」を、君ら生徒にハッキリと教えていかなアカンということや。「経済学」の基本もそこにあるんや。- 『青木雄二のジュニアのための『ゼニ学』講座1』ゼニの秘密教えたる / 青木雄二著 / 汐文社 ¥1400(税別)より抜粋 -

[214] 【 首相「怒るなら同じ党名で」「民主党の枝野さん」発言 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM7951C2M79UTFK01F.html?iref=comtop_latestnews_01 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/07/10-08:24)
《 「政治に無関心」なんてとんでもないことやで 》そこそこ生活できるからええ、なんて勘違いもええとこや。選挙に行かんやつはアホやで……。テレビや新聞、雑誌の取材で、若者が政治に無関心なのはどうしてなのか、と聞かれることがよくある。僕なりに答えを出すならば、やはり学校での教育がよくないのでしょう。支持政党がないから選挙に行かない、入れる人がいないから行かない。というヤツがよくいるが、ああいう考えのヤツがいること自体、選挙というものが何か、学校で教えられていない表れなのです。なぜなら「選挙で投票しなかったら、僕は関わっていない」といって、消費税をとられずに済むかといったら、そんなことはない訳でして、投票してもしなくても生活は苦しくなるわけであります。ただし投票しなかったヤツは、反対意見に投票したヤツより責任が重い。それで自民党が勝ったとしたら、投票しなかったヤツが自民党を支持したのと同じことになるわけです。だから「何も変わらないから」と投票をサボるヤツは、白紙委任状を自民党にくれてやったようなもので、無謀で大胆な政治行動をとったことになるのであります。なにより政治に関心がない、などと言っていると、自分の首をしめることになるということがわかっておりません。態度を明らかにしていないということは、戦争になっても徴兵も人殺しも拒否する権利はもはやありません。そう言っても、選挙に行かなくてもきっと戦争は起こらないし、生活できるから、豊かだからええやないかというヤツもおるでしょう。だが、生活は果たして本当に豊かでしょうか……。そんなヤツは一握りもおらんでしょう。物質的にも精神的にも日本は豊かとはいえません。今、父親は遅くまで帰ってこないし、母親はパートに出ております。つまり生活は便利になっているように見えて、実はその便利を維持するために夫婦が過酷な労働を強いられているのであります。そういうことを考えてみないから、政治に無関心やなどと言っていられるんでしょうが、バカやとしか言いようがありません。-『 青木雄二の イテこましタレッ 』青木雄二著 / 講談社 ¥1200(税別)より抜粋 -

[213]  【「年金細り、バクチまで!」老後2千万円、専門家の指南 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM6F721GM6FUTFL00H.html?iref=comtop_8_02 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/06/15-14:53)
《 受給年齢は益々、引き上げられる。国を頼らずに生きていく覚悟を決めよ 》元々、国民年金は、年寄りがそこそこの年齢で死んでしまう事と、若い世代の人口が永遠に増加する事を前提として基本計画が作られている。つまり、高齢化社会になって若い世代が減り、年寄りが増加したなら、システムそのものが破綻しないはずはない。そんなことは制度が開始された昭和34年当時から予測できた事だった。当然ながら、こんな夢も希望もない制度は誰もあてにしないようになっていく。すると、誰も年金を払わないことになって、年金制度は自然消滅するでしょう。実は僕は国民年金は若い頃から払っていない。破綻するのが見えていた……というとカッコいいが、若い頃は水商売を転々とし、カネもなければ先のことなんか考えてはいなかった。お陰でまぁ、カネをドブに捨てるようなことにならずに済んだともいえますが……。こんな頼りにならない制度をアテにするくらいならば、自力で老後の対策を考えたほうがずっとマシ。それがボクの考えや。そしていずれボクのような考え方の人も増えていくことでしょう。健康保険や国民年金制度の今後の行く末は、ほとんどの国民が心配している。しかし、国家は多額の借金を背負い、もはや国民ひとりひとりの面倒を見るような余力は残っていないと見るべきです。-『 青木雄二の イテこましタレッ 』青木雄二著 / 講談社 ¥1200(税別)より抜粋 -

[212] 【 本日6/9は.故青木雄二先生生誕の日ですね。 】 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/06/09-16:06)
本日6/9は.故青木雄二先生生誕の日ですね。いつもこの日には御提言申しあげていることですが.青木先生の「観念論と唯物論について」「神はいない」「物の見方・捉え方・考え方について」「いつの世も発言より行動が先であった」等々.数々の問題提起と共にそこに連なる真理に向けて.改めてこんな時こそ漫画でもエッセイでも青木作品を今一度しっかりと読み返したり.それらに触れる事で再認識する日にしたいものです……。「物質的生活の生産様式が社会的、政治的及び精神的生活過程一般を制約する。人間の意志が彼等の存在を規定するのではなく、逆に彼等の社会的存在が彼等の意識を規定する。」-『経済学批判』-より (もし神さま、仏さまが、人々を見守っているのなら「ここのテーブルの上にあるコップを動かして下さい」と祈ったら動くかどうかとみんなに聞くと、コップが動かないことは誰にだって判る。もし、祈ることで秋の収穫が豊作になるのであれば、余分にあくせく働くこともない。わざわざ祈らなくても実る作物は実るのだ。唯物論は「物質的生活」つまりその人がどんな仕事を、どういうふうにして生きているか、ということが人間のものの考え方や社会的なあり方を決めているというものだ。つまり、社会のあり方や政治体制は、道徳や宗教によって決まるのではなく、その基礎となるゼニ。つまり経済構造によって決まるということになるのである。)-『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 - 

[211] 【 川崎殺傷「1人で死ねば」の声、事件や自殺誘うと懸念も 】→  https://www.asahi.com/articles/ASM505DFQM50UTIL02K.html?iref=comtop_8_08 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/06/04-14:12)
【 いじめの本質 】虐めにあった子が自殺すると、判で押したように「いじめがあったという相談はうけていない」という談話を学校側は発表します。遺書が発見されようとも「担任は気付かなかったと言っている」と、木で鼻をくくったような回答しかない。まず言いたいのは、どんな社会にも虐めは必ずあるということです。いじめの本質は優越感です。「俺はあいつより優れている」と思った瞬間からいじめは始まりますのや。挨拶されても無視する。声をかけられてもシカトする。こうした陰湿なことを集団でやられたら、死んだ方がマシやという気持ちにもなりますわ。これは鈍感とかいう問題ではなく、人間性に関わる問題だと思いますわ。もし、ある人間に対するいじめがなくなるとすれば、それは悲しいことに新たな別のターゲットが現れる時です。優越感というのは一度芽生えると、エスカレートすることはあっても、なくなることはないからです。いじめにあう子供の気持ちを考えさせることは、想像力を身に付けさせることにもなります。想像力があれば、少なくともいじめの当事者にはならんはずなのです。 - 青木雄二のサバイバル育児論『子育て・個育て・心育て』青木雄二著 / 講談社 ¥1048(税別)より抜粋

[210] 【 10連休、五月病に注意「間違えると元に戻れない」】→ https://www.asahi.com/articles/ASM4V4Q4JM4VTIPE025.html?iref=com_apitop 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/05/01-15:06)
《 資本主義社会の構造は.死ぬまで働かされるタコ部屋と同じや 》「1863年の最後の週に、すべてのロンドンの日刊新聞は『単なる過度労働からの死亡』という『センセーショナル』な標題の一記事を掲げた……。メリ・アン・ウォークリという、二十歳の婦人服製造女工の死亡に関するものだった……。輸入したてのイギリス皇太子妃さまのもとで催される誓忠舞踏会のための貴婦人用衣装を、一瞬の間に作り上げるという魔術が必要だった。メリ・アン・ウォークリは.ほとんど休みなく労働し.夜は一つの寝室を.さまざまの板壁で仕切った穴のような室中で.二人づつ一つのベッドに入った……。メリ・アン・ウォークリは.金曜日に病気になって日曜日に死んだ……。検屍陪審は表明した『死亡者は卒中のために死んだのであるが.その死が.人員過剰の作業場における過度の労働等々のために速められたと懸念すべき理由はある』と」『資本論』……。知らん人もいるかも知れないが.タコ部屋というのは「タコ壺のように.一度入ったら出られない部屋」ということや。もぐりのタコ部屋は.ホンマに絶対に抜け出せないだけやない。現場でケガをしても.病気になっても.薬もないし.誰も看病なんかしてくれない。放っておかれて.寒かろうが.雨が降っていようが.外に放り出されることもある。働けない者は.メシを食う権利もない。病気になったら死ぬしかないということや。まさか、この現代にそんなことが……。と思った人は.ホンマにお目出度いわ。ボクに言わせたら.いいなりの社員なんかも「タコ部屋」にいるのとたいして変わらない。タコ壺の中に入っているから.外の世界が見えないし.自分の姿も会社の状態も見えない。真面目にやればやるほど、ストレスがたまって.家族とのコミュニケーションもなくなって.しまいには過労死だ。なんとか生き延びても.定年退職したとたんに.女房から離婚を宣告される。「定年離婚」というやつや。これじゃ.なんのために働いてきたのかわからない……。そう.労働者は.家族のために働いているつもりで.実は資本家のために奉仕しているのに過ぎない、ということや。『資本主義社会そのものがタコ部屋と本質的に同じ』巧妙な搾取の構造を持っている。ペテンなのや。 -『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 -

[209] 【 「元号に罪ないが、政治ショー化フェアでない」内田樹氏 】→ https://digital.asahi.com/articles/ASM415FB1M41UTIL03S.html?rm=542 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/04/02-15:11)
《支配階級は、どうして天皇制を残したがるのか》「プロレタリアートの生活条件では.旧社会の生活条件は既に破壊されている……。法律.道徳.宗教は.プロレタリアにとってはそのいずれも.背後にブルジョアの利益を隠し持ったブルジョア的偏見である」(『共産党宣言』)ハッキリ言うで.今の日本の労働者は.ほとんどみんなマインドコントロールされている。ほとんど大多数の人は.日本という国が決して間違った国やとは思っていないやろう。ところがアジアの国々から見たら.こんな理不尽な国はないで。なにしろ.今の若いもんから子供達まで目標を失っているというけど.日本に住む人間にはやらねばならないことがあるのや。それはアジアの国々に.前の戦争で迷惑をかけたお詫びや。なにも土下座せいとは言ってない。自分達が現在.なに不自由ない生活をしているのを当たり前やと思うな.ということや。アジアの発展途上国から.未だに日本は搾取を続けているのやからな……。ストライキもやらせない.という極悪の搾取をやっている。これではお詫びどころの話しやないな。そのうえ.戦争で迷惑をかけたという事実まで隠そうとしているのが.自民党を先頭とする保守政党の政治家や。彼等は労働者を搾取するブルジョアから巨額な献金を受けているからや。そういうことに気付かない労働者を大量生産するために.保守政治家は法律から道徳.教育まで自分達 =ブルジョアの利益になるように捏造しねじまげる。学校でマルクスどころか.金融やら手形やらの世の中の仕組みを教えず.図書館からは『共産党宣言』や『資本論』が消える。しまいには.周辺有事とかいうて戦争を始めるために.これからブルジョアによる情報操作とマインドコントロールが.もっと徹底的に行われるやろうね。自衛隊もどんどん海外に出兵していくわ。「ある時代の支配的な思想は.常にその支配階級の思想にすぎなかった」(『共産党宣言』)という言葉を.この本の最初のほうでも引用したけど.この「支配階級の思想」が.着実に浸透しつつあるのや。「日の丸」「君が代」が.国旗・国歌ではなかったことがようやくバレてまた問題になっているけど.その根っこは天皇制や。『ブルジョアはどうして天皇制を残したいのか』それはまた戦争に負けても、天皇に責任をなすりつけられるからや。それと自分達が搾取で儲けて.贅沢な生活をしているのを批判されても「働かずにゼニをもらっている貴族階級がいるではないか」と逃げることも出来る。天皇といえば.神道という宗教の象徴で「国産み」とかという神話はあるが.豪族の末裔という見方も成り立つ。このような「象徴」をかつぐことで.昔から日本の武士をはじめとする支配階級は.自分の政治責任を最後にはうやむやにしてきたのや。まぁ.自民党ばかりか.対抗する野党の主要メンバーまでが.A級戦争犯罪人をも神としてまつっている靖国神社に堂々と参拝するようになったのやから.これはいよいよファシズム国家になり.もう一度アジア占領の夢を果たす大東亜戦争に打って出る前夜.ということやろうな……。軍拡にはキリがないのや。軍拡と戦争で喜ぶのは.武器を製造している資本家たちだけや。とにもかくにもアジアの国々が.日本の政治家やブルジョア達が.日本をそんな危険な方向に走らせていく.今のこの状況を黙って見逃していると思ったら.あまりにも考えが幼稚やわ。 -『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 -

[208] 【「大戸屋」一斉休業し勉強会 12日、再発防止へ従業員対象に 不適切動画投稿問題 】→ https://www.asahi.com/articles/DA3S13918860.html?iref=pc_ss_date 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/03/13-08:17)
《 働けば働くほど自分達が豊かになる社会を目指す 》「労働(者)は.資本家が儲けるさいには.必然的に儲けるとは限らないが、しかし資本家が損をするさいには.必然的に損をする」(『経済学・哲学草稿』)「労働者の生産物が労働者に属さず.疎遠な力として彼に対立しているならば.そのことはただ.この生産物が労働者以外の他の人間に属するということによってのみ可能である。労働者の活動が彼にとって苦しみであるならば.その活動は他の人間にとって享受であり.他の人間の喜びでなければならない」(同)……。1843年ごろ書かれた『経済学・哲学草稿』でマルクスは.労働と私有財産との関係を考究し.疎外された労働が労働者の人間性を抑圧し奪っている、と指摘している。マルクスがここで「労働」と呼んでいるのは「資本家に搾取された労働」のことや、労働者が働く苦しみが資本家の喜びになる。というくだりは.ホンマに実感がある。これはなにも.働いたらあかんというてるわけやないので、労働者が人間らしく生きるためには.これまでの搾取される労働を廃止する必要があるといっているのや。マルクスが指摘しているのは.分業化が進むと.労働者の労働の価値がドンドン落ちるということや。「それなりに.やった、という充実感があるけどなあ」という人は.いっぺん手作りの陶器とか、手作りの家具みたいなもんを作ってみたらええ。労働の充実感と、ものを作る喜びが、普段の労働とはまったく違うことがわかるやろう。同じことをやっても.条件によって労働の充実感はまったく変わってくる。例えばお茶くみなんかは今どき誰もやりたがらないけど.自分が好きな人にお茶を入れるのなら.喜びを感じるはずや。もし、単純労働で納得が行くほど十分な賃金をもらっているのならええよ。けど、資本主義の性格からいうて、そうはならない。抑圧の多い単純な労働ほど賃金は安くなるから、労働自体を廃止せなあかんというのや。もし、資本主義的労働をなくしたらどうなるか……。搾取がなくなるので、剰余した労働は労働者階級全体のために蓄積される。とマルクスはいう。今みたいに、政治家や官僚、教師達が、よってたかって子供達を自分のおかれた状況に無自覚な労働者に仕立てて、企業の歯車として送り出しているようなシステムからは、責任をもって人の為に汗をかくような人材は生まれない。この教育から改めなければならないやろうな。「労働者が自由になる」つまり解放されるのは、とにかく資本主義をやめて、搾取がいっさいなくなった時でしかないのや。 -『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 -

[207] 【 妊婦は残飯あさり、富裕層は高級店へ ベネズエラの今 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM373QFDM37UHBI011.html?iref=comtop_8_01 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/03/09-20:40)
『逆さまの世の中』……。僕は「しのぎ」とは.やくざ言葉で「飯の種になる仕事」のことと理解していたのですが.大阪の「あいりん地区」で使われるときは別の意味だと最近.知りました。彼等の「しのぎに遭う」とは.単価の高い泊まり仕事で小銭をためて.久し振りにドヤに帰った労働者が袋だたきにされ.金を奪われることなのだそうです……。歌の文句「義理も人情もドヤもある」は作り話しで、現実には「しのぎ」が増えるのが「あいりん地区」の実態であります。三、四十代の働き盛りにも仕事がなく.千人を超す野宿者.二千食にものぼる炊き出しが連日続いているのが経済大国日本の一側面であります……。この国は「真理が逆さま」になっております。ここまで考えて僕は「国家とは一体何なのか」という大いなる疑問を感じざるを得ません……。エンゲルスは端的にこんな説明をしています。「相争う経済的利害を持つ諸階級が.無益な闘争のうちに自分自身と社会を滅ぼさないようにするために、外見上は社会の上に立ってこの衝突を和らげ、それを「秩序」の枠内に保つべき権力が必要になった。社会から生まれながら社会の上に立ち.社会からますます疎外してゆくこの権力こそが国家なのである」と……。 -『 青木雄二の ナニワ資本論 』青木雄二著 / 朝日新聞社 ¥1200(税別)より抜粋 -

[206] 【 NHK組織再編で波紋 「政権への忖度ない」異例の反論 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM2Q5QZ0M2PUCVL030.html?iref=comtop_8_03https://www.asahi.com/articles/ASM2Q5QZ0M2PUCVL030.html?iref=comtop_8_03 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/02/23-06:21)
《 偏った報道をさっさとやめて、真実のみを伝えんかい! 》わしが知ってる新聞社の記者は.なんと唯物論を知らなかった。やっぱり唯物論は知っとかんといかん。文章の基準点をどこに置くかと言うたら.科学をもとに置かないとアカンよ。唯物論を知らん新聞記者は、真理を伝えるためのそこが欠落してるわけや。すべて観念論者……。そう、だから唯物論は冷たいとか科学は冷たいという捉え方をするのが.今までの歴史の流れですわ。でも.そんなことはないんやで。唯物論というもののほうが.観念論者よりよっぽど温かい心を持っています。唯物論者から言わせてもらえば.貧乏人にとっては物事の判断を.自分自身がキッチリ判定することが大切なんよ。諸悪の根源は.自由民主党に責任があるとは言わんけど.当たり障りのないところで、ぼかす。それが手でもある。そいつらは唯物論を知らんから.社会はイデオロギー的な考え方によって変革できると思うとる。マルクスは「違う」と言っとるやろ。この世は物質経済が土台になっているんです。そこから人間の考えが出発しとるという事を知らんとだめなんや。わしから言わせれば野党の民主党だって、資本主義のこのままの体制で日本社会をよくしようと考えている党ですから.物質的土台を変革しないで人間の頭で社会を変えようと思っているわけです。これでは何も変わらんということを知らんわけですな……。そういう意味では野党も与党も.主義.イデオロギーはほとんど一緒ですから変わらんですね。変わらないということは庶民、労働者はいつまでたっても社会の底辺ですよということは知っておかなアカン。いい悪いは別にして.労働者が主人公の社会を作ろうと、それをテレビでなんで言わんのか不思議やな。テレビいうのは何千万の人が観てくれているわけですから.言うと目覚める人が多いはずや。わしが本の中で言うたって.読んでくれる人は20万か30万やろ。選挙では20万や30万ではアカンのや。どないもならへん。NHKでも報道の公平さとかいうのであれば.宗教の時間があるのなら唯物論の時間もつくらなアカンって。歴史となんとかって、教育テレビでようやっているやんか。哲学者もデカルトとかカントは出したってマルクスは絶対出さんしね。哲学はヘラクレイトスから始まって.ソクラテスやアリストテレスやの時代を経て.デカルトやヘーゲルやフォイエルバッハを経て最後にマルクス、エンゲルスが弁証法的の唯物論を完成させたわけですから.これを言わんとダメなわけ。だから自由民主党も宗教家も助かっとるわけや。 -『 ナニワ革命道 』青木雄二×竹内義和共著 / 徳間書店¥1300 (税別)より抜粋 -

[205] 【 たたかれたのはうそ」父が娘に書かせる 小4女児死亡 】→ https://www.asahi.com/articles/ASM2553QJM25UTIL02G.html?iref=comtop_8_01 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/02/06-09:06)
『教育の平等はお題目や。ダマされたらアカン!』金を持っているか.持っていないか。収入によって.子供に受けさせる教育にも差ができる。悲しいことやけど.これはもう動かし難い事実や。教育は誰もが平等に受けることが出来る。というのが国家の建て前や。しかし.現実はそんなにうまくはいってない。つまり.金があればそれだけ立派な塾に通わせて.子供に何の不自由もなく勉強に専念させられる。そして結果的に.そういう子供が勉強も十分にできて偏差値も上がるということやね。もっといえば.そういう子供達の多くが大学を出たあとで政治家になったり各省庁に入ったりして.日本の政治を支えていく。日本の政治というのは.富める者を守り.益々富が集まりやすい社会を作る政治や。ということは.金持ちの子供がいい大学に入り.政治の世界に進出して.金持ちを守る社会を作っている.むろん自分も儲けながら……。きちんとつながってるわけや。ようできてるな。結局.教育というのは.国家によって巧みに利用されているだけのものなんや。多くの人はそのことに薄々気づいとる。自分の人生.あまりええもんやないと思うてる。そのために子供にも「これこそがいい生活や.いい人生や」という手本を示してやることが出来ない。だから.いくら教育熱心になったところで.子供の行き着くところは.たかが知れとる。子は親の後ろ姿を見て育つというが.それはそう言う意味なんやで……。子供に豊かな人生を送らせたいと思うたら.まずは親が.豊かな人生とは何かを見せてやらなあかん。しかし.それはなかなか難しい。金持ちは優遇され.貧しい者はいつまでたっても貧しいままで取り残される。それが日本社会の現実や。そういう意味では日本というのは.昔から少しも変わっていない。封建社会では.違う身分の者同士が恋をすることさえも罪悪とされた。つまり豊かな者が.貧しい者を支配していた。それは今も変わらぬ原理であり.そこに様々な悲劇が起こる。とりあえず.これだけ金がものをいう世の中になっている以上は.この基本原理は今後もちょっとやそっとでは変わらんやろう。 -『青木雄二の ゼニの教育論(『人生とゼニ』ホンマの価値観を知れ!)』青木雄二著/青春出版社¥1100(税別)より抜粋 -

[204] 【「北方領土」を口にしない安倍首相、ロシアの優位あらわ】→ https://www.asahi.com/articles/ASM1R050NM1QUTFK026.html?iref=comtop_8_02 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/01/23-07:52)
「国」は誰のためにあるのか知ってるか……。「国を守るため」と支配者は口にするわな。しかし.その言葉通りに受けとめるには疑問が大いにあるな。まず.彼等が国を守るという時の「国」とは.誰のための「国」をさしているのかということや。労働者.庶民のための国とはどうしても言い難いやないか。いうてしまえは.今の政府は資本家.大企業のための「集金マシーン」になっとるやないか。そのことからすれば.政府の口にする「国」とは.彼等のための国ということになるわな。次は「守る」という主張についてや。これもこの国の過去からすればあやしい。第一に.太平洋戦争では東南アジアの国々を侵略し.悲惨な目にあわせているが.未だにその行為がはっきり誤りであったという反省もしていなければ.その責任.責任者も明確にしていないのだ。国際的な場でも謝罪は非常に曖昧なものにしている。そんな政府の権力者が口にする「守る」って言葉をおいそれと真に受けることが出来るか。ちょっと素直にはなれへんで。しかも1960年代から70年代にかけてアメリカ軍がベトナムに侵攻したときは.そのアメリカ軍に基地の使用を提供しておるんや。それが「守る」という行為なんか。よその国の侵攻を手助けしといてそれはないで。資本主義社会ていうのは.資本家がさらなる経済的な金儲けを目論んでよその国を支配しようとするのが本質や。今ではその支配のため.武力にうって出ることはそう簡単にはできへん。世界の世論があるからや。代わって.発展途上国.資源のある国などに金を投資して.経済的な植民化を推し進める。けど.状況によってはいつ何時.武力に訴えるかもしれん危険性も常にもっているんや。大国に強力な軍隊がある限りその可能性は否定できんのや。日本という国も.親玉・アメリカの尻馬に乗る可能性ぐらいは十分に考えられることやで。つまるところ日本の軍隊は「守るため」であることも「国のため」であることも.非常に疑わしいということになる……。この国は庶民の財産なんて.ちゃんと守られるような仕組みになっていないんや。奴隷制社会に遡り.封建制社会.資本主義社会と私的所有が発達すると共により金持ちを.資本家を守る事が何よりの使命になっているってことや。庶民.労働者のことなんてのは二の次なんや。政治家や高級官僚からしてウソついて国民をだましてばかりいるんやから.庶民のわしらからすればたまらんわ。 - 『青木雄二のジュニアのための『ゼニ学』講座3』ゼニの魔力に負けん知恵 / 青木雄二著 / 汐文社 ¥1400(税別)より抜粋 -

[203] 謹賀新年 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (19/01/02-22:47)
旧年中も『ナニワ金融道場』御世話になり大変有り難う御座居ました。本年も何卒どうぞよろしくお願い致します。

[202] 【 入管法案、衆院通過 委員会採決強行、審議17時間のみ 】→ https://www.asahi.com/articles/DA3S13787936.html?iref=pc_ss_date 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (18/11/29-08:38)
《 こんなアホな人間がおるから、自民党の権力者は安心してのさばることになるんや 》 多くの国民は永い間にわたり、自民党の屋号にだまされてきているんやないやろか。自民党、正確には「自由民主党」つまり、自由で民主的な社会をモットーとする政党と間違えているんやないか。だとすれば、大きな錯覚やで。それは支配者にだけ都合のいい、身勝手な「自由」であり「民主」であるにすぎないのや。例えば、彼等の国会戦術での十八番は「強行採決」や。彼等が強行採決、あるいは強行可決を正当化するときに用いるのは数の論理や。つまり多数決こそ民主主義であるというわけや。学校でもそういう教え方をしとる。多数決は最大公約数であり、物事を決める基準やと。しかしホンマの民主主義の神髄は真理を尊重することにあるんやで。少数意見を無視し「抹殺」してたら社会の健全な進歩は望めないからや。反対意見が例え、百万人中一人しかなくとも真理は尊重せなアカンのや。世界の歴史においては.偉大な真実を述べながら、それが時の民衆が無知であったばかりに迫害された人間も少なからずいるのや。例えば「地動説」を説いたコペルニクスやガリレオだ。少数意見の真理の尊重は、一人ひとりの人間を、その生き方を尊重することにもつながるんや。政府権力者、自民党の説く「多数こそすべて」という理屈でいうなら、本当はそれこそ労働者、庶民第一の政治を行わなければいかんことになるんやが、実際には少数の富=資本を守るための「多数決」になっている。これは大いなる矛盾になるのだが、彼等はこの矛盾はどう説明するというのか。だから、彼等の多数決論理による強行採決は「数の愚挙」にならざるをえないんや。大企業はこの政府と結託している。労働者も「人の好い労働者」になっているばかりでなく、大企業の素顔、本質をもっともっと見抜いていかなアカン。 - 『青木雄二のジュニアのための『ゼニ学』講座3』ゼニの魔力に負けん知恵 / 青木雄二著 / 汐文社 ¥1400(税別)より抜粋 -

[201] 共産主義者って変態のデパート? 名前:エネルギー名無し (18/11/27-04:19)
 >>額に汗して働くもんよりも.その上に立って搾取する奴のほうが偉いと

 その際たる者達こそ共産主義者手のはもう確定事項ですけどね。何せマルクス自身ニートの先駆けでしたから。
 そのマルクスを筆頭として、共産主義者ってアブノーマルな人材の宝庫ですよね。今年初めに逮捕された元共産市議も、自転車のサドルに欲情して自分の白い液体をぶっかけて逮捕されたくらいですし。私の知る限りでは右翼側にこういう行為をして捕まったって例は確認されませんでしたけど。
 青木氏もこういうけったいなカルト思想に被れてたかと思うと笑いが止まりませんな。
 尤もこの腐れ資本主義の中で生き延びるには思想すらも商売道具にするしか道は無かったのでしょうけど。
 [URL]

[200] 【 マルクス「資本論」自筆サイン本、日本に4冊あった 】→ https://www.asahi.com/articles/ASLB03442LB0UTIL002.html?iref=comtop_8_03 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (18/11/06-21:16)
『ローカル線』は中学時代の僕の友人から 何か地元のことについ描いてくれと頼まれて.確か40歳くらいの時に描いたものだと思います。その頃.ドストエフスキーとマルクス.エンゲルスを耽読しておりましたから.中学生の時の驚きは直感的なものでしたが.今度は科学的に説明できるようになっておりました。どういうことかといいますと「唯物論と観念論」という二つの哲学であります。今.僕は様々な人と会話して知ったことなのですが.日本人のほとんどが.人間にとって考えられる問題はキリがない程あるけれども.それらの全ての問題をギリギリのもうこれ以上考えられないという最後の問題まで求めると.それが唯物論か観念論かという問題なのです……。このことを知らないまま.大人に成長してしまった人間が.日本ではほとんどなのです。平たく言えば「在る」と「思う」は全く違ったことで.「在る」と「思う」をごっちゃにして物事を考えると.正しく考えることが出来ません。「世の中に何か悪いことが起こると.君たちはすぐに社会が矛盾している.社会が悪いという。しかし.それは君たちがそう思っていることであって.そう思わない人にとっては別に悪い社会ではないのだ……。」日本では.主観的観念論者が圧倒的多数であります。この観念論者にとって.一番の痛手は「実践」であり「行動」であります。日本の選挙で.観念論者は必然的に自由民主党に投票し.唯物論者は必然的に共産党に投票します。僕が『ローカル線』で言いたかったことは.資本主義.共産主義以前に.この世に真理は一つしかなく.日本では共産党以外に真理の党はないということが言いたかっただけのことです。 -『さすらい』青木雄二傑作集(マガジンハウス¥950税別)より抜粋 -

[199] 【 鈴木おさむ氏、渋谷ハロウィーン騒動は「集団催眠」】→ https://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01810296714.html?iref=pc_ss_date 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (18/10/31-07:11)
日本は「ウソ」の世界やで。ヒッチハイクでロンドンまで行った「猿岩石」。彼等のやったことは.確かに大冒険なのかもしれない。が.僕はみんながその冒険行になにかを見て.そして感動したのだとはとても思えない。みんな初めから「感動したかった」のだ。テレビはそんな感動のキッカケを提供しただけなのだ。飛行機に乗ったことが判明しても.みんな「途中で飛行機に乗って」ようが.そんなことはどうでもいいのだ。ヒッチハイクに感動して涙を流した当の女子高生達は「感動できたからいい」と言っているそうじゃないか。もしこれがアメリカだったら.「猿岩石」はヒーローから転落して.外を歩けなくなっていたろう。アメリカは清教徒の国だ。追求するときは.徹底的に追求するし.アンフェアなことは断じて許さないから。それにしても女子高生達の「感動できたからいい」という反応は.ちょっと怖い。彼女達は自分を感動させたものがなんであるかなんて関係なかったのだ。「ドラッグで幸せな気分に浸るのと.現実に幸せになるのとは同じだ」と言っているに等しいからだ……。それを考えれば.最初から.真実なんか求めていないのだろう。彼女達が求めているのは.ちよっとのあいだ.自分を幸せな気分にしてくれる刺激なのだ。 - ナニワ金融道『だまされたら.アカン!』青木雄二著 / 講談社 ¥838(税別)より抜粋 -

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