ナニワ金融道場・意見交換BBS

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[275] 夢追い人ひとり 風の姿に似て 熱き心 きみに 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/11/26-17:56)
北国の旅の空 流れる雲 はるか
時に人恋しく
くちびるに ふれもせず
別れた女 いずこ
胸は焦がれるまま
熱き心に 時よもどれ
なつかしい想い
つれてもどれよ
ああ 春には花咲く日が
ああ 夏には星降る日が
夢を誘う 愛を語る

熱き心に きみを重ね
夜の更けるままに
想いつのらせ
ああ 秋には色づく日が
ああ 冬には真白な日が
胸を叩く 歌を歌う 歌を
オーロラの空の下
夢追い人ひとり
風の姿に似て
熱き心 きみに


[274] ★ 【 西武池袋本店の土地などヨドバシに売却、3000億円の負債返済へ 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/7fe9171e003719e29b475a2e24d44e1f44d56a72 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/09/05-04:10)
人間は、ゼニを稼ぐために毎日働いて生きている。莫大な額のゼニを親から受け継いだ人間がいる。莫大な額のゼニを一代で稼ぎ出す人間がいる。逆になんらかの理由によって、莫大な借金をかかえこんでしまう人間がいる。人間は、毎日ゼニと闘って生きている。ゼニは人間にとって便利な道具である。ゼニがあれば、人間はなんでもできる。自分のどんな欲望でも叶える事が出来る。

僕は人間というのは、はなはだ胡散臭い生き物であると思っている。人間なんて巨大なゼニの力があれば、何をやりだすかわかったものではない。しかし、ゼニがなければ人間は悲惨である。人生は暗黒で、希望が持てず、自分で自分自身を卑下し侮蔑するようになる。好むと好まざるとに関わらず、人間はカネと関係を持たずに生きていくことは不可能である。この世の中のことは、全て経済が土台になっている。「愛」だって、実は経済を抜きにしては考えられない。やはり経済的な基礎がしっかりしていなければやっていけない。愛にだってお金は必要なのだ……。

僕が『ナニワ金融道』を描く気になったのは、大きな理由が二つある。ひとつは、ドストエフスキーの小説『罪と罰』への感動。もうひとつは、マルクスの『資本論』との出逢いである。マルクスが執念をかけて書き上げた『資本論』には、人間社会の歴史と真実とが、的確な筆で描き尽くされている。結論だけを言うと、つまり、現代はゼニの世の中だということや。僕はマルクスからそのことを学んだ。僕達現代人は、ゼニを基盤とする巨大で不可解なシステムに縛りつけられてしまっている。僕達の知らない間に、世の中の裏側はどんどん複雑怪奇に発達し、僕達の首を締めようとしている。コンピューターの発達は自然の流れであり、それ自体は世の中が便利になるのだから、いいことではある。

僕が許せないのは、もっとどんどんオープンにしていかなければならない問題だと思う。暴かれなければならない問題は、まだまだ一杯ある……。人間は狼にもなれれば、鬼にもなれる摩訶不思議で胡散臭い生き物である。そんな人間が作り上げたこの資本主義の社会も、じつに胡散臭い。そこのところを、しっかりと見極める目を持って、生きて行こうやないか。 -『ゼニの人間学』青木雄二著(KKロングセラーズ¥1165税別)より抜粋 -

[273] ★ 【【速報】小田急線刺傷事件 37歳被告に懲役20年を求刑「僕だけ貧乏くじ」東京地裁 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/0ae8374e0e65ca900162f6c836decd82add53a5a 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/07/06-17:42)
《 資本主義社会の構造は.死ぬまで働かされるタコ部屋と同じや 》「1863年の最後の週に、すべてのロンドンの日刊新聞は『単なる過度労働からの死亡』という『センセーショナル』な標題の一記事を掲げた……。メリ・アン・ウォークリという、二十歳の婦人服製造女工の死亡に関するものだった……。
輸入したてのイギリス皇太子妃さまのもとで催される誓忠舞踏会のための貴婦人用衣装を、一瞬の間に作り上げるという魔術が必要だった。メリ・アン・ウォークリは.ほとんど休みなく労働し.夜は一つの寝室を.さまざまの板壁で仕切った穴のような室中で.二人づつ一つのベッドに入った……。メリ・アン・ウォークリは.金曜日に病気になって日曜日に死んだ……。

検屍陪審は表明した『死亡者は卒中のために死んだのであるが.その死が.人員過剰の作業場における過度の労働等々のために速められたと懸念すべき理由はある』と」『資本論』……。知らん人もいるかも知れないが.タコ部屋というのは「タコ壺のように.一度入ったら出られない部屋」ということや。
もぐりのタコ部屋は.ホンマに絶対に抜け出せないだけやない。現場でケガをしても.病気になっても.薬もないし.誰も看病なんかしてくれない。放っておかれて.寒かろうが.雨が降っていようが.外に放り出されることもある。働けない者は.メシを食う権利もない。病気になったら死ぬしかないということや。まさか、この現代にそんなことが……。

と思った人は.ホンマにお目出度いわ。ボクに言わせたら.いいなりの社員なんかも「タコ部屋」にいるのとたいして変わらない。タコ壺の中に入っているから.外の世界が見えないし.自分の姿も会社の状態も見えない。真面目にやればやるほど、ストレスがたまって.家族とのコミュニケーションもなくなって.しまいには過労死だ。なんとか生き延びても.定年退職したとたんに.女房から離婚を宣告される。「定年離婚」というやつや。これじゃ.なんのために働いてきたのかわからない……。

そう.労働者は.家族のために働いているつもりで.実は資本家のために奉仕しているのに過ぎない、ということや。『資本主義社会そのものがタコ部屋と本質的に同じ』巧妙な搾取の構造を持っている。ペテンなのや。 -『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 -

[272] ★ 【「死んで生まれ変わろうと……」 独特な死生観を持つ市川猿之助と哲学者・梅原猛の関係 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/76c1bff88eb1e86dfd1b9f81b31d043c59a192c2?page=1 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/05/25-09:37)
『唯物論』と『観念論』。日本国民にとって唯物論は聞き慣れない言葉なのですが.わかりやすく言えば.現実を先入観なしに.見えるままに素直に見るということや。

ただそれだけのことなのですが.反対に観念論というのがありましてな。例えば.机が「在る」とは.自分がそれを「在ると思う」からあるという主張をするわけですわ。自分が思わなかったらあるもないもわからないではないか.と主張する立場が観念論であるということも付け加えておく必要がありますな。「なんだそれだけのことか」と言われるかも知れませんが.このことは現実の社会を知る上で.最も重要で大切な根本の問題なんですわ。

「在る」とは観念の外に.観念から独立して.観念に支配されないでそれ自体で成り立っているものだということなのや。だから.在るものは思うことによって.いささかも動かされたり.変えたりすることはできまへん。「在る」は思う.思わないには関係のないことなんや。

もし.人間が思うことによって.あるいは神に祈ることによって稲や麦が豊作になるとしたらどないなりまっか。人間に労働ということは.いらないことになりますがな。このことは唯物論が真理で観念論は誤りであることを証明しておりまっしゃろ。しかし.悲しいかな圧倒的多数は観念論者なのでありますわ。では何故.観念論者であるのか……。

それはこのいかがわしい資本主義社会の中で.本当のことを知られることよって困る側と.本当のことを知ることによって.幸福になってゆく側が存在するからなのや。このことは資本主義国の必然であって.唯物論を採り入れるわけにはいかなかったというわけや。

唯物論を教えなければ.残るは観念論だけですがな。その結果どういうことになるかと言いますと.人間が自分を支配する人間に対してひざまずき.その精神を支配され.長いものには巻かれろというような風潮が知らず知らずの間に出来上がってしまい.洗脳された国民がどんどん生産されていった.ということなのや……。

以上のことが.唯物論.観念論の核心や。それでもまだよくわからない方は.唯物論者は「この世に神はいない」と断言する側.観念論者は「神はいる」と主張する側だと理解しても.決して間違いではないと.覚えておいてええと思うで。あなたが唯物論を徹底して実践し.この資本主義社会の裏の仕組みが理解出来たら.カネでヘタ打たん.悪賢い宗教家にダマされん.女にモテる方法も見出せる。それを噛み砕いて述べたのが本書でんがな。 

-『ナニワ錬金術 唯物論』青木雄二著(徳間書店¥1200税別)より抜粋 -

[271] ★ 【 首相演説で爆発物、現場で容疑者のリュックを押収 自宅の捜索も終了 】→ https://www.asahi.com/articles/ASR4J3RG1R4JPTIL001.html 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/04/16-14:41)
『時代が変わればゼニの流れも変わる』……。昔から「寄らば大樹の陰」というて、大きな会社の方が安定しているというイメージがあった。しかし、最近は名の通ったところも行き詰まったりしている。今まで安定しているように見えていたところが、軒並み危なくなっているのや。「これで人生勝ったも同然」と思ったようなところが、どんどんあかんようになっている……。銀行の破綻処理や不良債権処理のために、税金がとんでもない金額、湯水のようにばらまかれているのも腹が立つけど、ここは「大樹の陰」の話しや。なんで安定成長していたはずの大きな会社や銀行が、経営難に陥ったかということやな。

それを招いたのは何か。根本的なガンは何かということなんや。いろんなシステムの悪いところが噴出している今やからこそ、そのあたりをよーく考えてみた方がええで。なんで色んな腐敗やシステムの欠陥が今、出てくるのかというと……。以前までなんとか取り繕っていたところが、ごまかしきれなくなってきた、ということがある。ゼニがまわらなくなるから、くっついていても、いつまでも利益がなければ「ゼニを払ったのになんや!」という時代になったということや。今すぐにゼニがもらえないのなら、約束違反や。名誉も政治力も関係ないという、ゼニ至上の資本主義の末期的症状やな。

つまり「大樹」でも、実がならないのなら切り倒してしまうという強烈な理論が、これからの時代の主流になるということ。「寄らば大樹の陰」なんていうてると、一緒に切り倒されるか、倒れてきた「大樹」に叩き潰されるのや……。『労働者の上前をピンハネしているから企業は発展する』資本主義社会の中で「大樹」に見えるということは、その企業にゼニがたくさん出入りしているということだ。しかも、利益をどんどん設備とかに投資して、雪だるま式に利潤が増え、経営がよくなるような企業でないと、頼りにはならない。

けど、これも逆にいうと企業が、いかに労働者から搾取している=上前をはねているかということでもある。労働者のひとりひとりに、それぞれが働いたぶんだけ賃金を支払ったら、経営者側には一銭も残らんのやからね。労働者が、自分が働いたことで生まれた利益の一部しか受け取っていないからこそ、企業が儲かり、その分で事業を拡大できるのや。小さな企業やったら、その儲けをみんなでボーナスとして分配しよう、とかみんなで使い道を決めよう、ということもできるけど「大樹」といえるような大きな企業では労働者には相談もなくすべてが決められてしまう。だから結局、労働者にとって安心な「大樹」というものは、大きければ大きいほど、労働者自体の存在が軽視されるものになっていくのや。 -『もっとしたたかに生きなアカン』青木雄二著(KKベストセラーズ¥1371税別)より抜粋 -

[270] ★ 【 「捏造」を主張する高市早苗大臣が「変造」で刑事告発されていた件、ついに捜査開始へ 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/02ed2a257a1bbf4d82895ca1ae81ad0a837e4549 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/03/16-22:37)
《 偏った報道をさっさとやめて、真実のみを伝えんかい! 》わしが知ってる新聞社の記者は.なんと唯物論を知らなかった。やっぱり唯物論は知っとかんといかん。文章の基準点をどこに置くかと言うたら.科学をもとに置かないとアカンよ。唯物論を知らん新聞記者は、真理を伝えるためのそこが欠落してるわけや。すべて観念論者……。

そう、だから唯物論は冷たいとか科学は冷たいという捉え方をするのが.今までの歴史の流れですわ。でも.そんなことはないんやで。唯物論というもののほうが.観念論者よりよっぽど温かい心を持っています。唯物論者から言わせてもらえば.貧乏人にとっては物事の判断を.自分自身がキッチリ判定することが大切なんよ。諸悪の根源は.自由民主党に責任があるとは言わんけど.当たり障りのないところで、ぼかす。それが手でもある。

そいつらは唯物論を知らんから.社会はイデオロギー的な考え方によって変革できると思うとる。マルクスは「違う」と言っとるやろ。この世は物質経済が土台になっているんです。そこから人間の考えが出発しとるという事を知らんとだめなんや。わしから言わせれば野党の民主党だって、資本主義のこのままの体制で日本社会をよくしようと考えている党ですから.物質的土台を変革しないで人間の頭で社会を変えようと思っているわけです。これでは何も変わらんということを知らんわけですな……。

そういう意味では野党も与党も.主義.イデオロギーはほとんど一緒ですから変わらんですね。変わらないということは庶民、労働者はいつまでたっても社会の底辺ですよということは知っておかなアカン。いい悪いは別にして.労働者が主人公の社会を作ろうと、それをテレビでなんで言わんのか不思議やな。テレビいうのは何千万の人が観てくれているわけですから.言うと目覚める人が多いはずや。わしが本の中で言うたって.読んでくれる人は20万か30万やろ。選挙では20万や30万ではアカンのや。どないもならへん。NHKでも報道の公平さとかいうのであれば.宗教の時間があるのなら唯物論の時間もつくらなアカンって。

歴史となんとかって、教育テレビでようやっているやんか。哲学者もデカルトとかカントは出したってマルクスは絶対出さんしね。哲学はヘラクレイトスから始まって.ソクラテスやアリストテレスやの時代を経て.デカルトやヘーゲルやフォイエルバッハを経て最後にマルクス、エンゲルスが弁証法的の唯物論を完成させたわけですから.これを言わんとダメなわけ。だから自由民主党も宗教家も助かっとるわけや。 -『 ナニワ革命道 』青木雄二×竹内義和共著 / 徳間書店¥1300 (税別)より抜粋 -

[269] ★ 【 春風亭一之輔 笑点新加入で「ナニワ金融道に出てくる人みたいだった」鶴瓶からの祝福の言葉とは… 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/52a5f5c7e6d33af469123673a5c33c73181faeaf 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/02/10-14:09)
「虎は死して皮を残す」……。作家は死して作品を残す。

日本テレビの人気演芸番組「笑点」(日曜後5・30)の大喜利コーナーに新メンバーとして加入した落語家の春風亭一之輔(45)が…… 多くの人から祝福されたといい…… 同局で鶴瓶に会ったことを明かした。

そんな鶴瓶からの言葉は「良かったやないか、どこに行っても知ってもらえて。バンバン金入ってくるで!」だったそうで,まるで「漫画の『ナニワ金融道』に出てくる人みたいだった」と苦笑……との弁。

[268] ★ 【 『吉野家』で“紅生姜をかきこむ”動画拡散に「もう食えなくなる」運営は「法的措置をとる方針」と回答 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/65e78c5f59eeb43e891072b2413e092cdde3c027 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/02/08-03:16)
『ナニワ金融道』が大ヒットして.なぜこのマンガがあんなにも人気が出たんやろ。と.ふと思うことがある。多分こう言う事やと思う……。ワシが昔から日本の資本主義社会に感じてた矛盾を具現化したからやろな。ワシと同じように国民の多くが日本の資本主義に矛盾を感じとったんや。国や会社を信じて.がむしゃらに働いてきた労働者達。

でもどっかで.何かしら納得のいかん想いを抱いていたんやと思う。『ナニワ金融道』を読んで.そういった労働者が.自分の言いたかったんは.こう言うことやったんやと思ったんやろ。マルクスが教えてくれた弁証法的唯物論哲学をワシはマンガで表現したにすぎんのやけどな。「弁証法!」これこそ庶民が幸福になる唯一の手だてやとワシは思うとる。それなのにみんな知らんのよ……。弁証法を簡単に説明しよか。この社会には大いなる矛盾がある。平等を主張する社会なのに.金持ちがいて貧乏人がいる。

この矛盾は対立である。対立は悪いことではない。社会に対立するものがあれば「止揚」して発展するんやから。止揚とは《 矛盾である対立を乗り越えたところにある新たなる局面 》これが弁証法の考え方や。つまりは.社会の矛盾に目を背けてはいけない言うことや。矛盾があればどんどん対立すべきや。

対立することで.今まで隠されてきた物事が浮かび上がってきよる。矛盾を矛盾のまま放置しとると.世の中は絶対にええ方向へは行かん。それがワシがマルクスから教えてもろたことなんや。マルクスは学校では習わん。学校では教えてくれへんのや。学校で教えてくれへんのやったら.自分で本屋に行ってマルクスの本買うて読まんかい。本から学べきものは無限大にあるで! -『青木雄二の速学教育道』青木雄二著/ メディアファクトリー ¥950(税別)より抜粋 -

[267] 謹賀新年 2023年 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (23/01/03-15:40)
旧年中も『ナニワ金融道場』御世話になり大変有り難う御座居ました。

2023年も何卒どうぞよろしくお願い致します。

[266] ★ 【 防衛増税に反対する自民議員が会合 「内閣不信任案に値する」との声 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/5f63fb0cd31af030b3dddb1db760b0eaab409711 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/12/15-22:57)
さて.二十一世紀いうのは.二十世紀にも増して庶民にとっては厳しい世の中になると、わしは睨んどる。自由主義の名のもとに競争社会が激化し.弱いものはどんどん排斥されていく時代になるんやないかと思うのや。世界的にいえば.頂点に達しようとしとる貧富の差が.新たなテロや戦争を生んでいくやろ。解決の手立てのない争いやトラブルが頻発するに違いない。

かつて.わしら人類はそれぞれのエゴで悲惨な戦争を繰り返してきた。二十世紀の歴史は戦争の歴史でもあった。このままやと二十一世紀もまた戦争の歴史になってしまいよる。今回の本で取り上げた事件の数々はその規模こそ違え.その根底にあるのは人間のエゴや.貧しさや.憎しみである。わしは思う。人がエゴを捨て.貧乏が世の中から無くなり.憎しみが思いやりに変わった時.凶悪な事件は影をひそめ.世界から戦争が無くなる。

そんな世の中が来るというのは夢物語かもしらん。ただ、人間は生きとる限りその夢に向かって前進していかんとあかんとわしは真剣に思っとるんや。人間が夢を無くした時.その時こそが人類にとっての終末になるはずや。 -『青木雄二の二十世紀事件簿 犯罪・社会編』青木雄二著 / 河出書房新社 ¥1400(税別)より抜粋 -

[265] ★ 【 東京都立大教授の宮台真司さん、大学で切りつけられ重傷 男が逃走 】→ https://www.asahi.com/articles/ASQCY5S61QCYUTIL02M.html?iref=comtop_7_02 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/11/30-04:46)
日頃.何か言ってはいけないことがあるのか.言えないことがあるからか.ひきつった笑いになって.何かを隠さなければいけない緊張のために顔の筋肉が知らず知らずに力む.何かを隠すために作り笑いを浮かべたり.顔がひきつるというようなことは万人の人間に出てくると思います。動物は本能で生きていますから.ウソをつく必要はないですが.しかし人間は動物と違ってなにかをカモフラージュしなければいけない場合があります。

そんな時に不自然な笑顔が浮かんでくるのです。それと相手の目ん玉をジ〜っと見ておったら.ウソをついた時にはチカッと動きますよ。目ん玉がちょっと左右に移動する。一点をグッと睨んでということは出来ません。なにかをカモフラージュしたいからか.ウソを見破られることを恐れるために目がキョロキョロするのでしょうが.かえってそれで逆にどこかウソをついているなと見破られるのです。人間の感情はウソをつけない。感情は正直に反応します。

しかし.なかには特殊な人間というか.動物に近いと言うか「吉展ちゃん事件」犯人の小原保はポリグラフにまったく反応しなかったといいます。反応をせんというのは.非常に動物的なんでしょう。「ウソ発見器」にさえも.まったく反応しない特殊な人間もいるから.ウソつきを見分けるのは難しいことであります……。ものごとの本質を見極めることで.ウソやウソつきを見分ける能力を身に付けなければ.いつまでもウソつきに騙されることになります。ウソをつくというか.あまりあてにならん人間の.一番最初に判断しやすい材料というのは.約束の時間を守る人間かどうかということでしょう。約束の時間を守らない人間は.ウソをつくというか.責任感がない人間だとみなしてまず間違いないでしょう。

2〜3回.ずっとそうだったら「これはもう信用おけない」という目で.ちょっと距離をおいて見ていく必要があるように思います。これは必ずいずれ裏切り行為をするとか.すぐさまキャッチせんといかんです……。時代は『ナニワ金融道』になっています。いかがわしく.ウソくさく.危ない世の中になってきています。社会状況の裏側をよく見極め.鋭く人間鑑定をしながら.破滅の底に転落しないように気を付けていきましょう。 -『青木流人間鑑定図鑑 一瞬に読む145のほう定式』青木雄二著 / 講談社 ¥1200(税別)より抜粋 -

[264] ★ 【 野田元総理による安倍元総理追悼演説に「胸が熱くなった」高橋洋一が絶賛 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/c12caa0f2ecb343eaf1a1780294e05265269afc3 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/10/26-16:25)
自民・公明・保守・民主・社民……みんな単なる屋号やで イズムの茂みの下に隠されていても 結局やっぱり根っこはひとつやで,

必然の認識が自由であるなら カラクリ・嘘・でたらめ暴いたれ。民はゆらしむべし 知らしむべからず 洗脳教育 堪忍やめて・もうゴメン!

選んだ奴が 結局アホやから 世の中なんにも変わりはせんと 言われんためにも みんな選挙に行くんやで!!

[263] ★ 【 岸田首相の地元でも国葬反対声明 弁護士会長「聞く力発揮してない」 】→ https://www.asahi.com/articles/ASQ9V539LQ9RPITB00G.html?iref=comtop_7_03 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/09/27-08:38)
「観念主義や宗教.みんな人の弱みを突いてくるだけ。唯物論の方が人間的なんや」……。戦争の元ゆうたら.民族とか宗教の問題なんでしょ。結局.唯物論か観念論やから。そういうことになります。万人皆平等言うて.おまえ人種が違う.うち来てもらったら困るいうことになるじゃないですか。そしたらこの問題.結局マルクス・エンゲルス.共産主義にするしかないっていう答えになりまっしゃろ。それが言いたかっただけなんです。

「職業に関するある一青年の考察」ゆうてマルクスが16.17才で書いてますが.その時はまだマルクスも観念論ですからね。カントとかへーゲルの観念論の方へいっとったんですよ。けれど.最終的には観念論か唯物論だから.ドイツの国立大学に教授になれたけど.マルクスはなれんかった。おまえはとんでもないことを言う奴やからと……。今とそっくりやないですか.自由民主党と。わしが学校の先生しますかって.あかん危険やって。一緒ですやん。

歴史いうの。かなわんもんな.こんなこと言われたら。この世に神がおると思う奴は先生になったらあかん。教師になる資格は神がおらんと言う人じゃないとあかんと思う。それやったらお寺と一緒.宗教と一緒になってしまうから.創価学会でもオウムでもあれ.全部神がおると思ってるんでっせ。これをやめさせなあかんわけだ。それを説いとるわけですわ。地方行っても嫌な顔するで.これをやられたら一番困る。宗教家いうのはもう食いぶちがなくなる。唯物論言ったら.飯食えんようになるから.そうしたらもう葬儀屋も墓石屋も困るんですわ。飯食えない。これが人類何千年と続いとるわけです。だから唯物論からいったら.宗教は一番の敵やね。それやからマルクスは「宗教を阿片や」と言うたんです。一時的に癒すだけ。で肉体は阿片打ったらボロボロになりまんがな。

そうです.それでそれと資本家がグルになるんですよ。洗脳しやすいから.従うから弱い奴が.奴隷根性になるんですわ。支配しやすいがな。それはダメだってわしは反旗翻してやらなあかん言うてるんですわ。わしは墓参りなんかもしてない。死んだ親父なんて何も関係ないもん。それの方がずっと科学的ですよ。唯物論は物欲的で獣的だっていう考え方があるけど.違うんですよ。唯物論者の方が人間的なんですよ。観念論.イデアリズムとか.理想主義とか訳されるから.美しいとか慈しむとか.香しいとかなるのですが.本質的には間違った考えしとる。だから最初.原始人が唯物論じゃなくて観念論になるのは当たり前ですわ。どうしてかというと.寝ている時に人は夢を見るんですよ。夢の中で遠くへ遊びに行ったり死んだ人に会ったりするから.人間は霊魂の存在を考えたんですよ。

だから今でも迷信が残ってて.迷信は観念論ですから宗教は芽生えていったんです。だから人間は人間以外の木にも川にも風にも全部.神様が.魂が宿っとると思う。これを『物活論』とかいうてアニミズムいうんですね。世界の民族もそうでっせ。墓があるでしょう。それでインディアンはインディアンの顔に似せて人形を作るし.日本人は日本人の顔に似せて作るじゃないですか。ゆうことは.人間は誰も神を見たもんがおらんから.想像で作る以外ない。だからギリシャの哲学者の有名な奴がね.もし牛とか馬に絵を描く手があったら.神を牛は牛に似せ.馬は馬に似せて描くだろうと言うてまんがな。だから結局.世界の民族は.神はおらんということに芽生えんと.やっぱり共産主義になっていかんでしょうな。まずはそれですわ。

そこでマルクスはそこから一歩更に進んだ現実のこの社会の底辺の悲惨な人々の生活を変えんかったら.宗教はなくならんと言うたんです。何故か。それは救いを求めるからなんです。これ、唯物論の考え方なんです。だから底辺の人々の悲惨な暮らしをなくさない限り.宗教はなくならない。これが共産主義です。日本人いうのは宗教がいっぱいあるからかえってええんやな。だから日本いう国は意外と宗教が多宗教やから.ひとつにまとまれない可能性は高いですよ。しかし.結局は.唯物論か観念論か。資本主義か共産主義になる。そこに少しでも近づいてくれたら良いゆうことでしょうな……。

否.それでも講演が終わって「矛盾しとる.青木さんは金儲けしとるやないか」と言われた時に.殺し文句で「わしはどっちでもええんやで」って言う訳や。おまえらが可哀想やから言うたってるだけやと。こんなこと金持ちで言う奴が今までにおったかって言うたら.泣きが入りまんがな。これが最後のしめ。ほいでもう誰も質問せえへん。 -『ザ・青木雄二 ワシのアタマのなか全部みせたる!』青木雄二著 / マガジンハウス¥1000税別)より抜粋 -

[262] ★ 【 二階元幹事長「国葬やらなかったらバカ」発言に見える“強烈な特権意識”「反対派はみんなバカということか」 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/9b38193fcdc1171582d0c91ea6f89eacc39278d5 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/08/27-09:52)
【 人間が「神」をつくったんや。「神」が人間をつくったのではない 】まやかしと誤魔化しのはびこっている今の世の中には.色々とはっきりさせんといかんことがある。その中でも僕が一番声を大きくして叫びたいのは「神」の問題である。神さまはいるのか.いないのか……。
僕は,はっきりと大声で宣言する。「神はいない!」神は人類が創造したものの中で.最大にして最悪のものや。「神」が人間をつくったのではなく.人間が「神」をつくったのだ。このことを.僕は『悲しき友情』という漫画の中に描いた。「神」はいない! ええか.皆さんよく聞いてや。神さまなんていうのは.昔っから.てんで.まるで.ぜんぜん.ちっとも.絶対にいてなかったのである! 文句があるのなら.僕の目の前に出てきてくれ。

宗教家は「いや.神は目の前に現れたりしないけど.あなたの心の中にいる」というだろう。だが.ちょっと待て。心とは観念のことではないのか! 僕が問題にしているのは「神の実在」ということだ。その「神」は.物の世界.物質の世界に実在しているわけではない。神を「思う」ことと.神が「在る」ということは.全く別のことである。この点をきちんと認識してもらわないと.いつまでたっても水掛け論の平行線だ。それにしても.どうして世の中には.神を信じる人間が多いのだろうか……。
いささか.短絡的だと思われるかも知れないが.これだけ世の中に「神」がはびこっていることの根源は.自民党の政治にあると僕は考えている。僕が「自民党」というのは.企業と結託してヒルのように私腹を肥やす政治家と政党のことだ。資本主義は矛盾ばっかりや。特に.日本の自民党政権なんていうのは.資本家ばかりを優遇して.その見返りで私腹を肥やして来た。ほんまに腹が立ってしょうがない。自民党と神の関係や。企業とか資本家とかの連中は.汗水流して働く労働者が.従順で文句を言わない方がやりやすい。只々.おとなしく子羊のように働いてくれる人間が有り難い.ゼニを黙って搾取させてくれる人間が有り難いわけや。おとなしく働いてもらうためには.労働者を洗脳する必要がある。

日々.ひたすら黙って一汁一菜.いただけるおまんまに頭を下げて.ありがたぁく手を合わせる人間になってもらわんと困る。どんな少ない給料でも.ありがたがって感謝の気持ちをもってもらえれば.資本家は実にあんばいがええ。宗教はこれにピッタリや。「嗚呼.有り難いありがたい.毎日こうして御飯が頂けるのは有り難い」労働者がそう思ってくれていれば.資本家はラクが出来る。つまり資本家と宗教家は利害が完全に一致しているのである。自民党だって.世の中の人が.政府への不満を爆発させてしまったら困る。これで庶民の不平が噴出しなければ.政治家は至ってラクチンである。もうひとつ理由がある。宗教団体には大勢の人間が集まる。

 大きい教団ともなれば.大変な大票田である。政治家がこれに目をつけへんはずがないわな。大量の票があるところには.必ず政治家が近づく。そして裏の結びつきが生まれ.大きなゼニが動く。こんなことが繰り返されていたら.いつまでたっても世の中はよくならない。僕は別に宗教弾圧をしろなんて.過激なことを言うつもりはない。神を信じるのは自由である。信じたい人は信じていたらええ。これを「思想信条の自由」と言うんやで! 

でも.もしも世の中の八割から九割の人間が「神はいない」と考えるようになったら.はっきりと世の中は変わってくるだろう。神にごまかされず惑わされず.世の中の真実を見つめるようになるし.資本主義の矛盾もドンドン改められて.ヒルのように利権に吸い付く政治家だって.抹殺されてしまうだろう。そういう意味で.神というのはゼニの世の中のめくらまし役を果たしている。まことにもって.やっかいな意識なのである。 
-『ゼニの人間学』青木雄二著(KKロングセラーズ¥1165税別)より抜粋 -

[261] ★ 【 「私たちのお賽銭が政治活動の資金源に」自民党と神道政治連盟の近い関係に危機感 別姓婚や同性婚を望む人は“それぞれの神社の立場を知りたい” 】→ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/100830 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/07/22-15:36)
哲学というのは、今から三千年ぐらい前に発生したもので、ギリシア語で「フィロソフィア」という。「知恵への愛」と訳すんですね。これがもっとも古い「全体の科学」ですわ。これに対して「個別科学」というのがあり,これを自然科学と社会科学といいます。それで全体のことを哲学では「世界」といいます。世界とは地球上のありとあらゆる一切のもので、この「世界」というのは、物質と精神以外、何物もないということです。物質のことを「在るもの」といいます。精神のことを「思うこと」というように、日本語で訳せるわけです。ですから、哲学の根本問題は「在る」と「思う」の関係の問題になる訳です。

 哲学というのは考えて、考えて、考えぬいて、もうこれ以上は考えようのない最後の問題は何かということを突き止める学問です。ここで「在る」という事について定義させてもらいますと、今この机の上にあるこの缶入りのお茶は、在るもの。存在するものです。この黒板もあるものです。つまり現実に存在するものです。ところが目に見えるものだけが「在るもの」じゃないんですよ。目に見えないものにも「在るもの」はあるんです。

 例えば引力・空気・電気、それからX線。X線がなかったらレントゲン写真が撮れませんから、これも存在する「在るもの」です。
同じように社会は「在るもの」であります。この「在るもの」は「思うこと」によって、意識することによっていささかも変化しないし、形が変わったりもしない。それが「在る」ということです。

反対に「思うこと」というのは、例えば全ての神さま、釈迦、イエス・キリスト、日蓮、親鸞等、全ての神さんに「神さん、お願いします。この缶のお茶を1ミリでもいいから移動して下さい」と祈っても動いたりしない。これが「在るもの」であって、「思うこと」と分けて考えなければダメだということです。例えば「今年の秋、稲を豊作にして下さい」と祈って豊作になるのであれば、人間に労働は要らんということになります……。結核と言う病がありますね。この病気は人間の体内に結核菌が存在しとる為に起きる。これは人間の体内に「結核菌は在る」ということです。だから病気を治すには、この結核菌を人間の体内から取り除くか、薬で撲滅させないことには治らんのです。

 火を焚いて、鉢巻きして、祈祷師に祈ってもらったり、お百度参りをしたり、冷水をかけて祈ったりして治そうとしても絶対に直らないのは「在るもの」を「思うこと」で動かしたり、変化させたり出来ないのと同様です。ですから「思う」だけでは、絶対に治らない訳です。エイズでもガン細胞もそうです。ですから「在る」と「思う」とごっちゃにして物事を考えてはダメだと言う事なのです。 -『土壇場の人間学』青木雄二・宮崎学著/幻冬舎アウトロー文庫 ¥571(税別)より抜粋 -

[260] ★ 【 水道橋博士「たけしの政治利用はしない」はずが演説で「コマネチ!」ネットでは賛否両論 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/2dff48df05a6a62aebfe070a81c6206ec8376dc7 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/06/28-23:04)
「プロレタリアートは,ブルジョアジーから次第に一切の資本を奪い取り,

一切の生産用具を,国家,すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し,

生産力の量をできる限り急速に増大させるために,その政治的支配を利用するであろう……。」


[259] ★ 【「突破者」宮崎学が絶対に譲らなかった矜持と生涯 具体的な差別と具体的に戦った作家の「遺言」】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/fa2ebf2d9ef172a993baad56473648cc8da8a751 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/05/15-13:08)
1984年に江崎グリコ社長が何者かに誘拐されたことをきっかけに、食品会社を標的とする脅迫事件が相次いだ。いわゆるグリコ・森永事件である。容疑者はその風貌から「キツネ目の男」と呼ばれた。この「キツネ目の男」ではないかと疑われていたのが、宮崎学氏である。 宮崎氏は自らの半生を振り返った『突破者』(南風社、のちに幻冬舎アウトロー文庫、新潮文庫)で作家デビューすると、一躍論壇の寵児となり、次々に作品を世に放ってきた。体調を崩してからも創作意欲は衰えなかったが、残念ながら昨年刊行した『突破者の遺言』(K&Kプレス)が遺作となった。
《 忘れられない一節 》 宮崎学氏ほど差別を憎み、差別と戦った人はいない。氏の訃報に接し、その思いを改めて強くしている。  忘れられない一節がある。宮崎氏がデビュー作『突破者』につづった、上田という人物との思い出だ。  上田は宮崎氏の実家・寺村組の行儀見習いの住み込み若衆で、当時はまだ中学生だった。しかし、山口組との抗争で足をドスで刺されながらも必死に組の代紋を守り抜き、古参の組員から期待されるような人物だった。
 上田は被差別部落出身で、子どものころは解放運動に加わり、部落解放同盟の少年闘志として名を馳せていたらしい。しかしその後、運動から身を引き、ヤクザの世界に転じた。  そのころ宮崎氏はマルクスにかぶれており、上田のような優秀な人間は運動に挺身すべきだと考えていた。そこで、余計な差し出口だと承知しつつも、解放運動に戻るべきではないかと問いかけた。  上田はしばらくうつむいたあと、こう応じた。  「学さん、わし、ヤクザになって初めて自分が解放されたと思たんですわ。この気持ち、わかってくれます?」
 「運動のなかにいるときには差別はない。そやけど、学校や世間に戻ったら、差別されよる。わしがなんぼ鉢巻きして喚いたって、いっこも変わらへん」  「そら、世の中そうは簡単には変わらんぞ」  「いや、学さん、世の中は変わらんかもしらんけど、世間は変わる。わしがヤクザになった途端、だれも差別しよらへん。表だっては、だれもしよらん」  「いくらタテマエを叫んでも、差別なんかなくならへん。とすれば、そのなかでどう生きるか、どう世間と付き合うかしか自分には考えられへん。学さん、わしはもう、自分のやっていることが人のためにもなるという世界で動くのはやめたんですわ。これからは、おのれのためだけに動く。たとえ鬼だ蛇だといわれても、わしはわしの道を極める。それで自分が救われるかどうか、賭けてみますわ」
そして、「運動をやめたんも、こんなこというんも、わしが弱いからですわ」と付け加え、自嘲気味に笑ったという。
《 具体的な差別と具体的に戦う 》 私たちは上田の言葉が正しいことを知っている。日本には出自や性別などをめぐる差別が根強く残っており、街頭ではしばしばヘイトスピーチをまき散らすデモが行われ、ネット上では差別的言説が頻繁に飛び交っている。  しかし、この手の人間は上田のようなヤクザ相手に差別的な言動をとることはない。少なくとも、表立ってはしない。怖くてできないのである。差別主義者とはそういう卑怯な存在である。
 上田の言葉はその後の宮崎氏の生き方や考え方に影響を与えたと思う。宮崎氏は部落解放運動について論じた『近代の奈落』(解放出版社、のちに幻冬舎文庫)という著作で、この本を書く過程で自分の父親が被差別部落出身だったことを知ったと明らかにした上で、おそらく周囲の人たちも昔からそのことはわかっていたはずだと記している。  しかし、宮崎氏は出自を理由に差別を受けた経験がないという。なぜか。長年にわたる部落解放運動の積み重ねが、宮崎氏に対する差別を防御してくれたのか。そうではあるまい。
 宮崎氏が差別されなかった理由は明快である。父親がヤクザだったからである。ヤクザの組長の息子を差別すれば血を見るのは間違いないということを、みんなわかっていたからである。  もちろん心の中や陰で宮崎氏たちを差別していた人間はいただろう。しかし、少なくとも実際に差別されることはなかった。物理的な力を身につけることによって、目の前の差別を防いだのである。  宮崎氏は、差別は未来永劫なくすことはできないと断言する。差別は人間の業である。人間が存在する限り、差別はなくならない。しかし、いま・ここで行為としての差別をさせないことはできる。私たちにできるのはそこまでだ。具体的な差別と具体的に戦い、目の前にある差別を潰す。そのなかで差別を許さない力をつけていく。差別をなくす運動とはこれ以外のものではありえない。これが宮崎氏の考えだった。ここから上田の影響を読み取ることは難しくないだろう。
《 突破者の遺言 》 宮崎氏は差別と具体的に戦うことにこだわり、人権や平等といった抽象概念からは距離をとっていた。普遍的人権を押し立てれば、現実の社会に抽象的な無差別をそのまま押しつけることになるからだ。それはおそろしく非現実的な話であり、結果として「差別のない明るい社会」ではなく「差別がないことになっている暗い社会」を招くだけだ。宮崎氏は『近代の奈落』にそう記している。  しかし、人権や平等のためでないとすれば、何のために差別と戦うか。そのモチベーションは何なのか。宮崎氏は絶筆となった『突破者の遺言』で、差別との戦いについて率直につづっている。
「差別反対」は私も同じである。ただやり方が違うだけだ。私の場合、差別に反対するとは、私の目の前で差別している人間をぶん殴ることだった。正しいからそうするのではない。単に私が気に入らないからそうするだけだ。 なぜ気に入らないか。差別は弱い者いじめだからだ。弱い者ほど弱い者をいじめる。誰かを差別するということは「私は弱い者いじめをする弱い者です」と宣言するに等しい。だが、私はそういう連中に「恥を知れ」などとは言わない。いきなりぶん殴るだけだ。
だから私は自分のことを善人だなどとは更々思っていない。私は弱い者をいじめる弱い者をいじめるだけだ。「弱い者いじめいじめ」は悪かもしれないが、「弱い者いじめ」は極悪であるという確信だけは持っている。 私の結論は単純だ。〈差別との戦い〉は、永遠のもぐら叩きである。差別問題に根治療法はない。だから永遠の対処療法を続けるしかない。それゆえ差別を根治した気になって、「差別との戦いに勝利した」と祝ってはならない。そんなことはそもそもできやしないのだ。
差別との戦いに最終的な勝利はない。人間は差別との戦いに勝利するためではなく、敗北しないために永遠に戦い続けるしかない。それが差別と戦うということである。 宮崎氏は生涯、この生き方を貫いた。まさに「突破者」と呼ぶにふさわしい一生だったと思う。  私たち常人には宮崎氏の生き方を真似ることは難しいが、ヘイトスピーチが横行している今日において、突破者から学ぶべきものはたくさんあるはずだ。( ヤフー ニュースより転載 )

[258] ★【 上海ロックダウン、市民の抗議動画次々と拡散 検閲追い付かず 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/df40263c5264608cb46734ed69137bb3c15c42a0 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/04/17-13:47)
「ブルジョアジーは.歴史上きわめて革命的な役割を果たした。ブルジョアジーは……封建的な.家父長制的な.牧歌的な関係を.のこらず破壊した。人間をその生まれながらの目上と結びつけていた色とりどりの封建的な絆を無慈悲にひきちぎり.人と人との間に露骨な利害.無情な「金勘定」のほかには.なんの絆をも残さなかった……。個人の品格を交換価値に解消し.特許状でゆるされ.りっぱにかちえられた数々の特権を.ただひとつの非情な商業の自由と取りかえてしまった」(『共産党宣言』)

 現代社会を動かしているのは.経済と政治なんや。ふつう「政治・経済」という順番で語られるけれど.ホンマは経済の方が先や。何故かというと.その社会がどういう経済体制で動いているかによって.政治の形も変わってくるからや。今の世の中ではなんでもゼニや。どんなに悪どい奴でも ゼニさえあれば.楽して生きていける。反対にどんな善人でも.聖人君子でも.ゼニがなければ生きていけないのや。これは昔からそうだったわけではない。

工業化=資本主義が進むにつれて.そういった大切なものがどんどん破壊され.ゼニだけに価値が集中してきたのや。この点について.マルクスが『共産党宣言』の中で語っているのが.最初に引用した部分や。これは実は150年前に書かれたもので.ヨーロッパでは.この1848年フランスで二月革命が起き.数年後にはナポレオン三世が皇帝になり.イギリスではフランスとともにロシアとクリミア戦争に突入するという.とにかく騒然とした時代だ……。

そんな怒濤の時代に.早くも「現金」による人間の絆の破壊が進んでいると.マルクスは言うのや。「ゼニ以外に価値を持たない。」ゼニのあるなしが.人間の価値を計る尺度となっている。だから.現代社会では人はみなゼニに執着するわけや。これがゼニの社会.資本主義の姿や。マルクスには言ってみれば150年前から.資本主義社会のこのゼニ至上の悪弊がわかっていたわけや。何故.まだ起こっていないことがここまで判るのか。それはマルクスが物事の本質をしっかりと捉えていたからにほかならない。このあたりにマルクスの凄さが見えてくるのや。 -『ナニワ金融道 ゼニの魔力』青木雄二著(講談社¥1400税別)より抜粋 -

[257] ★ 【 今こそ話しておきたい空襲体験「つらいことがいっぱい起きた」【毒蝮三太夫vs林家木久扇スペシャル対談vol.1 】→ https://news.yahoo.co.jp/articles/24b25552cd800235c4b3073debe8bd5d5b1adbfa 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/03/15-15:29)
古今東西.戦争という過ちは.時代の閉塞感を何とかしたいという.この投げやりな庶民の気持ちが引き起こしてきたという事実も覚えておいてや。しかし、ほんまに庶民がとるべき道は他にないんか……。

昭和15年9月27日.日・独・伊の三国同盟がベルリンで調印。この時のドイツの首相はヒトラーで.日本の東条英機は陸相でして、翌16年に東条内閣が成立。彼は首相・陸相・内相を兼任.対米英開戦の最高責任者となり.太平洋戦争へと推進してゆくわけであります。ヒトラーも東条も最初から「私は軍事大国を目指します」と言って登場してきたわけではありません。彼等はドイツ・日本の救世主として.圧倒的多数の国民に指示されました。つまり民主主義とファシズムは出てきたときは決して相反するものではないのです。東条政権も平和を願って登場しましたが.2カ月後に戦争に踏み切ったことを忘れてはなりませんぞ……。

自分の置かれている状況がちっとも飲み込めていない見栄っぱりの国民に.もし僕が滅茶苦茶な改革を断行するとしたら.こうなります。まず臆せず「軍備増強」を全面に押し出します。当然「徴兵制」を敷き.若者を徴兵します。表向きはテロ対策の強化ということで.アメリカに同調するという姿勢ですな。アメリカが軍事費を大胆に割り当てているのに比例して.日本の軍事費も国家予算の1パーセント枠などと言わず.3パーセントぐらいドーンと注ぎ込む所存です。しかしながら戦争は僕の本意ではありません。実は15才から35才の男を全員兵隊に出すことで.丁度現在リストラに遭いそうな40から60代の雇用が.それにとって代わって創出することが出来るという仕組みですのや。軍事費は言うなれば形を変えた公共事業。しかも国民に直接.お金をもたらすものでありますのや。次に海外からの不法滞在者は.当然の如く徹底的にシャットアウト。これにより国内にあれだけ膨れあがっていた失業者は一掃されるのです。

正直な話し.人手が足らないと言って.寝たきりだったはずの爺さん.婆さんまで駆り出されるやろな。子供かて忙しくなること必至です。非行やひきこもりはなくなるという按配です。駆り出した兵隊は.平和目的と偽ってPKO活動に従事させます。今まではお金で国際貢献にカタをつけておったのを.労働力という現物支給で行うわけです。(もっとも紛争地帯では死者を伴うかもしれません。)若い男が国内に減るとどうなるか。必然的に若い女性は保守的になり.出来る内に男をつかまえて婚姻率は急上昇し.子孫繁栄のために子供をどんどん産むようになります。子供が増えれば将来の労働人口が増え.将来の購買層も増えて.市場が活況を呈するようになるのです。株価は上がり.土地も値上がりを始めます。これで改革は終わりですのや! この改革を仕上げるために必要な第一歩は.軍国……。

もとへ.愛国主義の教育を学校ですることです。どや.この改革。そら恐ろしい改革でっせ。しかし今やったら.案外通るかもわからんな。なにせ.この国の国民の大半は.政府が何をしでかそうと.ノーチェック!警察が国民の電話を盗聴出来る法案まで通ってしまっておるくらいの国であります。どんな大問題も曖昧にお茶を濁すことにかけては天下一品でありまして.唯一意志を表明出来る選挙でさえも.貴重な一票を.これまでも何度変わることのない同じ政党に.投票し続けるのですから……。愛国主義への道筋などたやすいことではないでしょうか。折しも学級崩壊が叫ばれる中.政府は除々に新しい教科書で偉大なる日本史を教えると共に修身までみっちり教えていったらどうなるか……。

間違っても.僕が思いついた改革など.実現して欲しくはないのですが.しかしどう考えてもそうなって行くようにしか思えてならんのが.この国の不思議なところでありますのぉ……。 -『銭道 さすらい編』青木雄二著(小学館¥1200税別)より抜粋 -

[256] ★ 【 問題流出、19歳のあなたへ 人間には、失敗する権利がある 】→ https://www.asahi.com/articles/ASQ2L5TKTQ2BTLZU001.html?iref=comtop_7_05 名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会 (22/02/19-08:40)
「この社会はゼニと資本家が神様になっている資本主義なんやで」資本主義というのはカラクリが複雑やし.人間の本能に訴えかけるところがあるんやな。だからマルクスも『資本論』書くのに何十年もかかった……。

資本主義っちゅうのは.相手を奈落の底にたたき落とさな.己は幸せになれん社会のことや。現実を直視してみよ。世の中には.ボロ儲けして偉そうにしてるヤツと一生懸命働いていても貧乏なままの人間がいるんや。それが今の世の中やと.ありままをキチンと教えたらんかい。その上で.子供達の意志で将来を決めさせてやればええ。現実を教えなければ.現実に沿った夢は見れんやろ。

「無知こそ不幸なり」よう考えてみい。世の中にはちゃんとカラクリがあってやな.儲かるヤツは何もしないで儲かるようになっとる。そこんところを見過ごしていると.幸せなんか絶対に手に入らへん。もうひとつ言うとこか。なんでみんな同じだけ一生懸命働いているのに.こんなにも収入の差があるんかいうことを……。結局のところ「世の中には得をする側の人間と.損をする側の人間がいる」という強烈な公式に集約出来るちゅうわけや。言葉を換えれば、世の中には搾り取る人間と搾り取られる人間がいるということですわ。

ワシにはこういう社会のシステムについての無知こそが.不幸の根源に思えてならん。ただただ生きて.毎日の生活を有り難がっているだけでは.人間は決して幸福にはなれん。世の中にもっと大きな目を開いて.自分達が生きている社会がどんなカラクリで動いているかを知らなければ.本当の幸福は手に入らんのやで。それは人間や社会の本質のことや。日本は資本主義社会である。資本主義は民主主義でもあるから多数決で物事が進んでいくのが原則や。多数決言うのは.数字の多いほうの意見が優先されるということ。それが必ずしも正しいとはかぎらないが.原則やからしかたがないわな。けど問題なんは.何の根拠もなく思い込みだけで物事を判断した場合の多数決の怖さや。

例えば.多数決の論理に慣れた日本人は.天動説を信じて疑わんかった頃の人間と同じやと思うで。垂れ流しの情報を事実として信じてしまって.疑うことをしなくなっているんや。目の前の事実は必ずしも真実ではない。真実を見抜く目があれば.社会.人.政治などあらゆる分野に対応できる幅の広い人間になれるんや。資本主義の日本でもアメリカでも.自分自身に自覚がなければ.理想社会に惑わされて自分を見失い.道に迷ってるちゅうことや。自分に責任をもっていれば.道に迷ったとしても.迷っているという自覚がもてるやろ。ほとんどの日本人が迷っていることにも気付いてへんのや。もし自分達が本当に幸せをつかみたいのなら.社会のシステム自体を変えるしかない。

その為にも政府に洗脳されている国民がそれに気付いて.文句があるときには大声で叫ぶことが大切や。大声で叫んで.この世の中を変えていく。これしか方法はないで。マルクスは資本家に搾取されている労働者をゼニの面で自由にするために.共産主義を打ち出した。ワシがこれからやりたいこと……。それはやはり今の社会の意識改革や。当たり前の話しやけど.資本家は必死で自分達の財産を守ろうとするわな。貧乏人がそれを奪うには選挙や啓蒙活動と言った意識改革を浸透させながら.社会的弱者が自分達の地位を向上させなあかんというとるのや。

マルクスの理論をひとりでも多くの人に理解させ.ひとりでも多くの人に資本主義の悪の本質を「なるほどな」と感づかせる。この本を読んだ方々が.ワシと同じように社会矛盾の根源を追求するようになって欲しい。そのためにはもっと賢くならなあかん。机の上での勉強も大事やし.社会生活の中で得る勉強も大切や。何より弱者に対する愛情と.自分自身の向上心も大切やと思うねんけどな。マルクスも戦ったしワシも戦っとる。どや.一緒に戦ってみいへんか。ほんまにこの国は.アメリカに原爆落とされて.キンタマまで抜かれてしまったんやなあ……。「観念論者でいる限り.いつまでたってもカモのままやで」 -『青木雄二の速学世直し道』青木雄二著/ メディアファクトリー ¥950(税別)より抜粋 -

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