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名前:『ナニワ金融道場』管理運営委員会
(15/08/03-03:29)
「すべてを疑え」これはマルクスが僕に教えてくれた言葉です。僕が今の若者に与える言葉があるとすれば.やはり同じ言葉を贈るでしょう。でもそれではやっぱり芸がないから.少し変えて「日本を疑え」としますか。今の大人は若者に媚びとる。ご機嫌をとってるだけなんや。それも下心いっぱいにな。そして狡猾な大人達はそうした若者が世間慣れしていないのをいいことに様々な甘言を弄して.自分達の利益を得ようとたくらんでおるんや。また若い奴はそれにまんまとのってしまうんやな。甘い誘惑のささやきの向こうには.必ず深い落とし穴が開いているんやで。だから最初に「すべてを疑え」と言うたやろ。自分の頭でものを考えんから人にだまされるんや。人間には学習能力というもんがある。一度だまされたら二度目はだまされんぞという気持ちを持たないかんで。敢えて僕が今の若者に言うべきことがあるとすれば「自分の行動に責任を持て」ということ。若者やったら失敗の連続でもおかしないで。自分の行動に責任を持つことは.自分の行いを正すことにもつながるんや。したがって人にだまされることもなくなる。そして一番大事なのが「自分をだまさんこと」つまり自分をごまかさないことや。自分のあやまちを認めないことは最大の悪徳なんやで。自分が間違っていたならば.素直にあやまったらええんや。悪いことしたり他人に迷惑をかけたりした時は.人のせいにしないで素直に謝ること.これが一番大事なんや。これができんとろくな大人になれんことは政治家や官僚などを見ていればわかるやろ。自分の過ちを棚に上げる。あるいは奇妙な論理を使って自分の行為を正当化する。やっているのは自分だけじゃないと開き直る。はっきり言って見苦しい行為や。人間の心理状態というのは不思議なもので.同じ行為でもまったく違う捉え方をすることがある。自分でも気付かないうちに.自分に都合の良い考えで物事を見てしまうことはありうるのです。特に自分の利害がからんでくると人間はまったく公平な目で見られなくなるのです。そう.人間はこのような「業」というものを持っている。その「業」と向かい合い.対決し.それに打ち勝ってこそ.真の人間になれるということなのです。ところで若者を騙すけしからん大人達はまだまだおるんや。騙しの筆頭はやっぱり役人と政治家.これに尽きると思う。ほとんどの国民は国に騙され続けてきた。国民ももういい加減に本気で怒ったほうがええで。若者にはまず.現代の日本の政治を否定することから始めて欲しいと思うのや。「日本の政治をこれからどうすべきか」要するに政治とは.あくまでもそれに関わるものの主体性が問われてくるものなんやな。あとは行動する人間や。明治維新を成し遂げた志士たちを見習って欲しいんや。明治維新の際.日本の国を動かしていた人達に共通するのはそれは驚くべき若さや。薩長連合を成立させ.大政奉還という超ウルトラD級のワザを見せた坂本龍馬が三十三歳。松下村塾を開き.維新の精神に多大な影響を与えた吉田松陰は三十歳。その松下塾で学び.長州藩を倒幕に向けて一つにまとめた高杉晋作はなんと二十九歳で病死しとる。大政奉還が行われた年に維新の志士たちはいくつだったのか。江戸城無血接収時の幕府代表・勝海舟が四十五歳.新政府代表・西郷隆盛が四十一歳や。同じく薩摩藩出身で明治政権の強化に尽力した大久保利通が三十八歳。将軍慶喜に大政奉還をせまった土佐藩の後藤象二郎が三十歳という若さ。一方.吉田松陰の門人で.薩摩と連合して討幕運動を展開した木戸孝允が三十五歳。松下村塾組では井上馨が三十三歳.日本国初代首相の伊藤博文にいたってはなんとまだ二十七歳。これら維新の志士たちが活動し始めたのはさらに十年ほど遡るから.みんな二十そこそこから国政に関わってきたということになる。しかもこれらの若者が皆エリートいうわけではないんやぞ。要するに能力と度胸があればこれだけの大事業ができるということなんや。今のような日本の閉塞状況において.問答無用の一途さに.彼等が立ち上がれば必ず出来ると思うで。今の若い人達にはそんな大それた事を遂行する能力はないと言うのは観念論に毒された言い分や。何事もやってみなければわからんやろ。さあ.若者諸君。男は度胸。女も度胸や。若い時は一度きりしかない。一発どでかいことやったらんかい! - 『僕が最後に言い残したかったこと』青木雄二著 / 小学館 / ¥1300税別より抜粋 -
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