青木雄二
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ファン倶楽部へようこそ ここでは青木雄二ファンのために様々な企画や、青木氏からの告知などの情報を扱っていく予定です。。



ナニワ金融道の青木先生と銀座にて




<左上>今や破竹のゴールデンアウトローコンビ?!青木雄二先生と宮崎氏。(^_-)

<右上>青木先生画の公演ポスター。両氏の共著『土壇場の経済学』表紙から。

<左下>精神,意識,観念,心 =『観念論』 と 物質,存在,実在,物 =『唯物論』を根幹として 話しが進められた青木先生自筆のボード。左側の三角は階級社会をそして右側の丸は地球を表現するのに書かれた物。

<右下>明治社会主義の一等星とも言える幸徳秋水が,時の権力と権力者の手によって処刑される直前に読み,後世に残される事となった彼の辞世とも言える『途窮未祷神』の句。(死に直面するほどの窮乏に瀕すれど未だ我,神に祈らず)と言った意。宮崎氏の自筆。



◯公演終了時,青木先生を囲む『ナニワ金融道場』道場生の面々。

【 青木雄二は落語家で言うなら,名人古今亭志ん生である。】

(無駄に長いですから落語等に興味のない方は読んでも面ろないし疲れるだけかもよ?(^^;)(^_-))。。。

今回の公演に参加して感じた事としてお二人に共通して言える事は,やはりまず第一に「互いに反権力であり,体制や権力と言った物がとにかく大っ嫌いである」と言う事。(^^;)(^_-) 次にお二人の共著『土壇場の経済学』(幻冬舎)『土壇場の人間学』(幻冬舎)等を読まれている方なら既に御存知かと思いますが,奇しくも両氏は同じS20年生まれの同郷は京都育ちであり,そしてお二人ともに子供の頃から滅法喧嘩に強かったらしいと言う事を聞かされれば,これは最初に書いた事にもつながりますが,とにかく負けると言う事が嫌いであって,そんな所からも様々な意味で喧嘩の仕方も十分に心得ておられ又,それをその通りに演出し実演しておられると言う事を確認する事ができます。(^^;)更にその事は真に事実であったであろうとも推察されます。何故なら本当に強い者は弱者に対しその痛みや限度が解れば,慈悲もあれば良い意味での施しの精神もあります。しかし逆に弱いものが何かの拍子に力を持ったりした時には,その加減の仕方すら解らない為に,悲しいかなそこには人に対する思いやりの限度もなければ妥協や慈悲等は到底ないと言う事は,今の資本家やら官僚,エスタブリッシュメント達を見ていれば十分に理解出来る所であろうと思います。(これらは今時の子らが直ぐに切れたり,ナイフを持ち出したりするのに何処かよく似てるとは思われませんか?彼等はまるで権力者や資本家がその権力や資本を持ち合わせなければ,からっきり意気地がないのと同様にナイフのような武器がなければ到底心もとなくて喧嘩の只一つも出来はしないのです(^^;))子供はやはり親や大人社会を見て育ちますからね)。。。挙げればまだまだあるのでしょうが,そんな偶然や(はたまた必然か?(^^;))生い立ち等による背景が妙に合致している事も含め,以前から私もお二人の仲を朋友として認識し拝見しておりましたが,今回のお二人の公演での息と間と言ったものを実際に眼の当たりにして改めて,(この人らはやっぱし良きライバルであって,そして間違いなく親友やわ(*^-^*))と言う思いを新たにさせられ,その中でも特に圧倒的な感銘を覚えた事は(やっぱし,やって〈実践して〉来た男達の話しは掛け値なしにおもろいなぁ〜!\(^o^)/)と言う事でした。  そこでお二人に共通した点を述べた所で,今度は逆にそんなお二人の相違点を勝手に分類分析させて頂く事にすると,それは大きく三点が挙げられると思います。まずその第一の点は,青木先生は過去に様々な職業につかれ又,変遷を積み重ねられながらその賃金を得,生計を立てて来られた訳ですが,宮崎氏はそれとは対称的に就労所得としての賃金を殆ど今までに受け取られた事がないと言う事です。と,ここで私が感じたそれらの相違を申し上げる前に,是非一つ書きたい事があるのですが,それは私は言うまでもなく,私の師と仰ぐ青木先生のようにマルクスに対してマルクスフリークでもウォッチャーでもないので,マルクス本人のその史実やら詳細の全てを知り得ません。が,しかしある程度マルクスの自伝等をかじられた方なら既に気がつかれている方もおいでかも知れませんが,私的な見方に於いて,何かお二人の出生の背景が極めてマルクスとエンゲルスとのそれとにoverlapして見えて来るのは果たして私だけの事でしょうか?.....マルクス本人は決して貧民窟の階級の者ではなく,中産階級の弁護士の倅であった訳ですが,若かりし頃彼は,生活の為だけに物を書き,労働者に混じり肉体労働に明け暮れ,その賃金を得る事で何とか生計を立てていた時期がありました。(そう言った極貧生活の中,マルクスは当時1才だったフランチェスカと言う一人の娘を殆ど飢え死に同然に失っています)そしてそれとは正反対にエンゲルスは富裕な織物業者の息子として生まれ終生資本家のまま生活し,就労しての所得にて生活をした経験は恐らくなかったであろう?と思われます。これらを基に当のお二人についての自伝とも言える宮崎氏の『突破者』,『突破者それから』,青木先生の『人生道』『ナニワ青春道』等を読み進めてみると,そこには共通した何かを感じないではいられません。(青木先生は労働者階級の出ではありますが,いかにも実直で勤勉なエンジニアを父に持ち,一方宮崎氏は侠客とは言いながら地元で当時一大勢力を誇った旧家のヤクザの息子として生まれ,幼少の頃にはボンと呼ばれていたそうです.....未だいずれの書も手にされておられないようでしたら是非,そんな所も比較しながら読み比べられてみてはいかがか?と思います。) 次に二点目は各々のキャラクターと言いますか,例えばそれは芸人で言うなら『芸風』とでも言えるものの相違でしょうか?(^_-) お二人の各々の著書群を読んでもらったり又,今回の公演の模様を記した本文を読んで頂いてもお解りかと思いますが,取り敢えず公演の導入部からしてそうなのであって,まず公演の冒頭に故人の名言格言を引用しては話しのテーマを第一に掲げ,そのテーマに沿ってしっかりと脈絡を追いながらも随所にタイムリーな時事ネタや,機知に飛んだジョーク等(落語で言うならくすぐり)を上手く取り込み折り混ぜながら,更にあらかじめ用意された設問なり,その場その場で投げかけられる会場からの問いかけに対し,的確にその論旨を捉えては反応回答され又,会話のトーンにしても常に感情の起伏をコントロールしながら穏やかな調子を持って,エンディングに向かい起承転結を持って止しとされる宮崎学氏が,噺家の世界で言う「江戸時代からの伝統芸能はこの人の他界によって完全に終わりを遂げた。そのネタの豊富さと,器用にして計算し尽くされた秀逸な話芸は今後,彼をおいてそれ以上の芸人が登場する事はあるまい」と辛口の評論家達に口を揃えて言わせしめ,その死を落語関係者の誰もが惜しんだ昭和の名人と言われる『三遊亭円生』と言った所であるならば一方,とにかく話しの順序と言えば一体何処から入って,何処へ飛んで行ってしまうのか全く見当もつかず又,何処からどんな風にどんな話しが飛び出して来るのか予測する事すら困難であって,話しのトーンにしてもそのテーマによって,大きく身振り手ぶりを交えては,時にはその調子を荒げ声高になる時があったかと思えば,深刻に頭を抱え首を傾げ,本当に困り果てたような表情をしては幼い少年のように机にうずくまってしまうようなまるで無軌道とも思える語り口が,逆に何とも言えず計算では成しえない緊張と緩和を生み出す事によって人間味溢れる熱や情感,味わいを伴って,聞く人に力強い説得力を持って,その心の奥底を直接鷲掴みにして行ってしまうような迫力を感じさせないではいられないのが,青木雄二先生その人であり,それは語られる内容もさる事ながら,それ以上に『青木雄二が語る』と言う事その事自体が興であり,醍醐味であると言うのは真に先に述べた円生に「道場で試合をやればまず遅れを取る事はなくても,原っぱにおいて真剣でやったらおそらく切られるであろう」とまで吐露せしめたほどの,もう一人の昭和の名人,古今亭志ん生に例える事が,我ながら巧妙の極みであろうと自負しないではいられない程な訳です。(^_^)v  その名人志ん生の逸話は数え切れない程にありますが,中でも有名なものは ある日彼が出番の前から飲み始めた酒が利いてか?噺しをしている最中に彼はなんと高座で寝てしまったのです。その時,観客の中からは「志ん生のしゃべっている時はいつでも見られるけれど,高座で寝ている所はめったに見れないんだから寝かせておいてやんなよ」と言う声があがったと言う位にその存在感があった人で,とにかく現人間国宝五代目柳屋小三,桂米朝を始めとして,立川談志,ビートたけし,春風亭小朝,爆笑問題に至るまで有能な才能を持った芸人達の間で彼の影響を受けていない者は殆どいないと言っても過言ではないほどでしょう。そんな志ん生に例えた青木先生のそのカリスマ性を更に先述しましたマルクスとエンゲルスの例に止まらず中国の偉人で言い換えるのなら『農民の子にして軍人の素質を持ったゲリラ型天才』で,中国の革命の父と言われた毛沢東と想定する時,ここで改めて又,宮崎氏がその好対象として『ギルド的人脈作りの達人であり情報に精通した幕僚型秀才』であり,毛以上に人望を博したと言われた革命の母と呼ばれる周恩来と言った二人の関係にさえも見えて来るのですから私には不思議としか言いようがありません。(当日の公演にしても,時折りとっちらかった青木先生の発言に対し,常に突っ込みやフォローを適宜入れておられる所のその様子を拝見していると正しくそんな印象を持たないではいられないほどでありました(^-^)) もう一つ青木先生をその名人志ん生的カリスマとして例えるものの例として挙げるならそれは,噺しの中での法として「て・に・を・は・と・が・の・へ」と言った格助詞の用途が不明瞭である。と言う事(^^;)(^_-).......? 何故,そんな事がカリスマ的と例えられるのかは後で述べるとして,それを紹介するために,とにかく今回の公演の中でこんな事がありました。それはある一人の女子学生から「これからの女性は益々就職先とその職場を確保する事が困難になって来ると思うのですが,今後どのようにして対処して行ったら良いでしょうか?」の質問に対し,「いつか社会から抑圧を受けながら暮らしたり,やがては廃棄されたりする恐怖感や不安感を抱きながらの将来を考えれば,女性も同様にいつでもドロップアウト出来ると言う選択肢を持つ事が出来てさえいれば例えその憂き目にあったとしても最低限自らの命を無駄にするような馬鹿な思いをする事だけはない」と言った回答を宮崎氏がされたのに対し,とにかく我らが青木先生の回答は「選挙に行くこと,そして自民党には入れんことや」ですからネ。(^^;)(☆o☆)....... その回答の直後には,長テーブルから席を立ち上がる学生達が数名いたのですが,それがこの回答のせいであったか?どうかは果たして定かではありませんが,しかし,もしその学生達がその発言回答に対し(これで質疑応答と言える?!)などと疑心を持ったり又,(回答にすらなってない!)と不服の意を持って席を立ったとしたのなら,私に言わせればその学生達は正に今どきの学生であり若者であって,生涯この現資本主義の呪縛から逃れる事は出来ない救われない人達であろうとしか思われませんでした。(^^;) 何故ならそれはその彼女達はいかにも直接的であり,表面的であり,即効的な自分にとってあくまでも得や有利になる情報や回答にしか興味が持てず,残念ながら人の言葉を自身の力で洞察したり,そこから新たな創造する糸口を切り開いてみたり,実践思考したりする事が出来ないであろう系質の人達だからだと考えたからです。そしてこの人達を落語流に解析するなら,落語の世界には古くから「1.どろぼう,2.つんぼう,3.けちんぼう」の事を『さんぼう』と言って,これらの3つのテーマは,お客の前で堂々と演じたとしても至って差し障りの少ない演題とされているものの代表なのですが,まずこれが何故そう言われるか?と言う事をあらかじめ説明をさせてもらっておくと,それは1.の人は例え高座で悪口を言ったとしても「俺ぁ,泥棒だ!」と言ってわざわざ出て来る奴はいない(^_-)と言う事であり,2.は不幸にして耳が聞こえないと言う理由から。(注:ここでは古典落語からの表現をそのまま用いるだけで,特に差別的な意識が全くないと言う事だけは最初にお断り申し上げておきます)3.の吝嗇家と言う者は,そんなものには金は出さないから高座などへは最初から来やしない。と言った所からそんな彼等には何を言っても構わないと言う論があるのですが,その例を引くとするなら,私に言わせれば彼女達はまずその『さんぼう』の類に違いありません。それは何故なら私が推察するに,おそらく彼女達は今どきの流行の雑誌を見ては皆が行く所へおなしようにゾロゾロと食事に押しかけてみたり,TVで「今だけしかない青春を買おう!○×信販」なんて手合いのCMを見ては海外に出かけ,ブランド物をたくさん買い込んで来てはせっせとその支払いをクレジットで支払っていると言った,とにかく事の本質が一体何処にあり,その根底で意味するものが全体何なのか?凡そ考えようともしない否,考える事すら出来ないと言ったような先天的な文部省教育しか享受していない,『美味しいとこ取りの結果だけを瞬時に要求するタイプの資本主義的思考の人間』なのではないでしょうか? 更に挙げるならマニュアル通りでないと何一つ理解したり回答したりする事すら出来ない,定義にはまらなかったり,自分の利害ばかりが優先し,全く教えられた通りの事しか出来ない,まるでステレオ タイプの系質の者達であって,常にいつ何時でもとにかくプロセスよりも一足飛びにその成果だけを求めようとしてしまう。(こんな子らやないですか?いかがわしい宗教団体にコロッと入信してしまうのは?(^^;))そんな彼女達の頭と感覚の中には,もう既に何事に対しても,粋も甘いも情緒も何も最初からないのです。となればそんな彼女達は,正しく彼女達がその席を立った時点でもう既に落語の例えで言う『さんぼう』の部類と同様の分類にされてしまったとしても致し仕方のない所であって,ですからひょっとしてそんな彼女達に「青木雄二の答えは答えになっていない」とか「公演の内容にしてもあんなの名人でも何でもない」と言われたところで,名人は名人の汚名や誹りを一切受ける事にはならないのですが,坊主の世界で良く言われる『縁なき衆生は度し難し』と言うあれのようなものにしては,余りにも空しく寂しい?例えではあります。。。(^^;)  そしてこれがひとたび志ん生ともなるとこれはもう格助詞等に止まらず極端に言うなら文法までハチャメチャな人であったように思われます。(しかし,取り敢えずここで改めてお断わりをさせてもらっておきますが,その格助詞がうまく使えないと言う事だけが名人として極めて価値がある事だとか,薦んでそうした方が好ましいと言っているのでない事くらいは,これまでの書きようで十分に理解して頂けていると思いますが,あんまりひどいひどいと言い続けて来たので,青木先生の名誉の為に一言念の為に申し上げておきますが,「基本的に青木雄二氏は一文化人として全然問題のないしゃぺりであります!」から,青木先生ファンの方々は御安心めされ!。。。。(飲まれてない時はOKであります大抵は。。。(^^;)(^o^)v)しかし,それなのに何故,そんな志ん生が圧倒的な笑いを作り出す事が出来又,当時の聴衆にも受けに受け,やがては時代の寵児となり,多くの御贔屓(ファン)によって名人としての名声を博する事が出来たのか?その理由は果たして一体何処にあったのでしょうか。。。? それは誤解を恐れずに書くのなら要は,「て・に・を・は・と・が・の・へ」なんて,志ん生にとってどうでも良かった と言う事ではなかったか?と思われます。と言うか,むしろそんな事に一切囚われない広がりであり変化と言った,とにかくその向こう側にある根源的根本を本人がどう捉まえているのか?!どう表現できるのか?!と言った事の方が彼には極めて肝心な事であり,その大切さを彼自身が何より本能的に理解し又,過去の修練と学習する事によって体得して行ったのではなかったか?と思われます。(そしてその人気の秘密は,そう言った負の要素を上回るそれ以上のプラスの要素を彼が過分に持っていたと言う事の確かな実証でもありましょう。) 唐突ではではありますが,レーニンは『国家と革命』の中で「聞く事を欲しない人間はどんなつんぼよりも始末が悪い」であるとか「『まじめな』日和見主義こそ,おそらくすべての日和見主義の中でもっとも危険なものである」と書いていますが,これは前者では脳や体が機能しているだけに始末が悪いと言った例えであり,それが最初から本人にその自覚さえないのであれば残念な事に後者の例えと目される事でしょう。更にエンゲルスの『空想より科学へ』の中には「形而上学的な考え方は個々のものに目を奪われてその関連を忘れ,その存在に目を奪われてその生成と死滅を忘れ,静止にとらわれてその運動を忘れる。それは木を見て森を見ないからである。」「今,結果であったものが,やがてすぐ原因となり又,それが逆になったりする」と書かれていますが,これらは総体に「て・に・を・は・と・が・の・へ」と言った例えば文法や形式と言った,とかく表面的な技巧や一義的な現象に囚われがちな人間の愚かさを言ったもので,これをさきほどの公演での女子学生の質問にもう一度置き換えるとするなら「就職に関し不安を抱いたり,関心を持ったりする事は確かに大事な事。そして勿論,職探しもそれを確保する事も。しかし,その前の前に(何で生きる糧としての職場を確保する事がこんなに大変で困難な事であるのか?)と言う事を考え,その事に気付かない事には,例え将来君らがどんな職にありつけたとしても,それはもう既に愚民政策化された中の一員でしかなくその姿のままでその生涯を終えるか,はたまた何かの拍子にその本人が生産性を失い隷属する事すら叶わなくなれば簡単に抹殺させられると言った,それはまるで走れなくなった競争馬が馬肉にされんかの如くのような人生しか待ってへんのやで」と言う事の暗示であり「一人一人が根源的に本当に大切で肝心な事は何なのか?!を考える能力を身につけそれを磨き実践する事」への示唆でもあった訳ですが,しかし残念ながらそれらを確実に捉え一長一短に理解出来る事が容易でない事は,例の女子学生ならずとも確かな事のようです。それは何故なら全ての人にそれが備わっていたとしたら,そこにはもう名人は既に必要ではなくなり又,その存在もしなくなってしまうからです。(^_-)そこで貴方の周りで「て・に・を・は・と・が・の・へ」に頓着があったり,その事に執着を持ちながら名人を名乗っているような人がいたとするなら,その方は私に言わせればまだまだカリスマとか名人とかを名乗るにはほど遠い人(^^;)と言わざるを得ませんでしょう。(^_^)v そして私達はと言えば,せめてその名人に対し,『さんぼう』扱いをされないように心していたいものではありませんか。。。(^^;)(考える事や,動く事を止めたとしたらボケ老人と何ら変わりないでぇ!(^^;)(^_-)) それではここで,その名人を作り出した背景とも言える共通Wordを二つだけ紹介しておきましょう。それは青木先生の転職の例程ではないにしろ,志ん生もその余りの極貧から同じ芸人仲間から「貧乏神」とか「死神」とか呼ばれていた時期があり,食えないが為に一時落語家を廃業し,小間物商いのような事をしたり,講談に一時転向してみたりと落語家から転職した事がありましたが,何より彼は本業の落語での芸名に於いて,借金から逃れると言う事が殆どの理由に於いて改名に改名を重ね,いつしかその数は16回とも17回にも及ぶと言われています。(余談ですが,青木先生のお見合いに関しての数が50回とか聞いていますが,世間で言う名人とか天才と称される人は何処か転職にしても改名にしても,そんな風に数を重ねないかん何かがあるのやろか?(^^;)(^_-))しかし,それは青木先生が一時会社を潰してやる事がなく,(なんでこんなに一生懸命やってもやっても自分の暮しぶりが楽にならないのやろう?)と思案に暮れる中,巡り会ったマルクスの『資本論』を,暇にまかせてむさぼり読むようになられてからその興味や英知や学習能力が培って行かれたのと同様に,志ん生も又,そんな食べる事が出来なかった時代があったればこそ,様々な世間の厳しさや妙味,裏表,人情の機微と言ったものが叩き込まれ,稽古に稽古を重ねる事で,古典落語の基本がみっちりと染みついて言ったのだと言われています。そう言った意味で正しく名人を作り出した背景にある共通のWordの中の一つとして『貧乏』と言うWordを葬る事は出来ないであろうと言えましょう。  そしてもう一つのWordが『唯物論』そのもの!だと言えば,青木先生が生粋のマルキストであり,紛れもない唯物論者であり又,その唯物論を世界中に伝播すると言う事を御自身の使命とまで考えられておられる方で,元漫画家でありながら,今では政治経済,社会,思想,哲学etc...を総合的な見識で語る事の出来る大層な一文化人であると言う事は青木雄二ファンならずとも十分に認知されている所だと思いますが,それにしても明治の,しかも哲学等からはイメージ的によほどほど遠いような芸人と『唯物論』がどうして結びつくのか?と不思議に思われる方が大半ではないか?と思われますが,ところが以外や以外,志ん生の話しの中には,至る所に唯物論が登場して来るのです。是非ここでその一部を紹介しておきたいと思います。まずは人情噺しから.......『子別れ』と言う噺しの中では,主人公の棟梁が酔って吉原(遊廓)へ向かうその道すがら「地獄極楽てぇなぁ,地の下にあるてぇけど,俺ぁないと想うね,もしあるんならたまにゃあ,閻魔の冠かなんか堀り出しそうなもんじゃねぇか」と言うフレーズがあったり,貧乏長屋から生前吝嗇で知られていた一人の坊さんが亡くなった時の弔の模様を描いた『黄金餅』では「この長屋の者が一日仕事休んだら食う事できゃしねえぇよ,死んだ仏様の為に,今度ぁ生きた仏様が食えなくなっちゃっちゃしょうがねぇからな」や,同じく宿賃の支払いもままならない貧乏な旅人が,なけなしの金で宝くじを買い,それが見事一等に当たると言うお話しの中には「どうもあなたのようなお金のある方に,手前どものようなこの貧乏......どうしてこう世の中が違うんでしょうなぁ?あたくしどもはもう宿屋じゃ生活しちゃ行かれませんので色んな事をしなければならないのでこの富の札を売っておりましてな。。。」と言った『宿屋の富』があるかと思えば,職人でタライや桶を修繕する職人の「たがや」が,大名と渡り会う『たがや』に於いては,もうこれは反権力と言うよりも,革命すらイメージさせるほどの話しの内容です。「なぁ,おい勘弁してやったらいいじゃねぇかなぁ,ほんとだょぉ,年をとったおふくろだのおやじがいるってんじゃねぇか,それくらいの事ぁ,こんな混んでる所へ来る方が悪いんだぃ,侍がなんだってんだい,おんなし人間だいっ!ふざけた事言うないっ!おいっ,おれの前で何か言うなよ,あの侍が俺の方見てんじゃねぇかよ(^-^)」etc...と言ったもの等,挙げれば切りがありません。  これらは言ってしまえば確かに志ん生個人から独自に編み出されたと言う物ではなく,その時代々の人々の生活の実体感の中から噴き出すようにして現われ,徐々に暖め育成される事によって面白可笑しく語り継がれて来た『落語と言う一般大衆の生活に密着した芸』による『落語』ならではのフレーズとも言えましょう。しかし,肝心な事はそれが志ん生と言う名人が語る事によってより一層その説得力を増し,輝きを発するようになったと言う事に関しては,先述した志ん生その人による数々の裏打ちがあればこそと言う事と,何よりそれが彼が名人の尊称を受けるに値いする由縁であるとも言えるのです。これらの事を検証した上で彼と唯物論と結ぶのであれば,志ん生は極貧の中での極貧を極めた数少ない人間であると言う実存を踏まえながら考える時,確かに彼の生きた時代を思えば彼自身の思考の中に『唯物論』と言う言葉と定義そのもののの認識がそこにはなかったにしても,しかし間違いなく当時の彼の脳裏には(神さんなんかいやしねぇ)とかの実感は確実にあったには違いありません。何故なら(神さんは志ん生に食を与えてくれた訳ではないし又,つきまとう借金を払ってくれた訳でもない。真打ちに昇進するに至っても彼は彼自身の力量でなったんだと言う自負が必ずあったはずでしょうから(^^;))。。。長くなりついでにその証拠をもう一つだけ申し上げると,改名に改名を重ね,それでもそこに終止符を打つ事となった『志ん生』の名は,実は先代,先々代とその演者達が短命であった事を理由に,志ん生の女房の『おりん』さんが襲名する事を必死で押し止めるのも志ん生は聞かずに,「俺は本当に志ん生になりたかったんだ。なりたかったからなるんだ,名前なんかで死んでたまるかい!」と言ってのけその結果,ついにその83才の生涯を閉じるまで『志ん生』の名を押し通してしまった。と言う経緯があるのです。(何だかまるでデカルト「我思う故に我あり」みたいやなぁ。。。(^-^))今ではそれこそ落語界に於いての大一代看板である『志ん生』の名ではありますが,それはあくまで『志ん生』と言う名前が志ん生をこしらえたのではなく,志ん生その人が『志ん生』と言うバリューをこしらえあげたのです。いかにも唯物論的な話しではありませんか。『唯物論は名人を作る』。。。けだし明言だとは思われませんか?!(Muuu.....beautiful!(^_^)v これは余談中の余談ですが,落語の『疝気の虫』と言う演目のまくらで志ん生がキューバのカストロについてしゃべっている音源があるのですが,共産主義者にとっては,全くをもって嬉しい話しではないですか?!しかしこの辺も又,名人の名人たる由縁でしょうな(^-^)) それにしましても,他の落語家の方にも多くの名人上手と言われる方はまだまだたくさんにいて,もうこのへんまで来ると,あくまでも好みや趣味趣向と言えばここで落語家に例えさせてもらった両氏に失礼かもしれませんが(^^;),そんな宮崎氏も同様に唯物論者である事には違いないであろう事を思えば,各々に様々な共通点があり相違点は確かにあるにしても,冒頭に書きました(やっぱし,やって〈実践して〉来た男達の話しは掛け値なしにおもろいなぁ〜!\(^o^)/)と言う感想を抱かざるを得なかったその原因は,やはり只単にア プリオリなものだけではなく,そう言った後発的な何かを十分に極めるに至る迄の例えば家庭環境であったり,負けず嫌いであったりと言う彼等の中での強靭な精神力や肉体。喧嘩巧者(^_-)や人生哲学と言った緻密な計算等の総合力が成しうる物なのだなぁ。。。と改めて痛感させられないではいられません。 それにしても,三遊亭円生に古今亭志ん生。激動の昭和史の中,芸道に於けるいずれひけをとる事のない燦然と光り輝く名人としてのその名を連ねた二人であった訳ですが,そこには時代とジャンルを違えこそすれ又,彼等と同様にこの混沌とした平成と言う現日本と言う国家社会と,21世紀と言う世界観の中,青木雄二と宮崎学と言う二人の男達が出現して来た実存に対し,私達はこのお二人にも,政治であり経済であり,思想哲学と言った分野に於ける各々のキャラクターを生かされた上で,今後『名人』としての卓越された才能と行動力を発揮される事に対し非力ながら御支援申し上げながら,心からの期待と希望を抱かないではいられない訳です。\(^o^)/   そして最後に何より決定的に違うお二人の3点目の違いを申し上げるなら,それは宮崎氏が殆どまったくと言ってよいほど御酒を召し上がらないのに対し,青木先生は,うわばみとも酒聖とも謳われた志ん生と同様,青木先生からお酒を取ったらなくなっちゃうくらいの飲ん兵衛な方ですから,そう言った意味でも【 青木雄二は落語家で言うなら,名人古今亭志ん生である 】と例えられる訳なのです。お後がよろしいようで。。。(^-^) 

            - 00/4/18 法政大学に於ける公演レポートも兼ねて -

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